enonaiehon

私の第三十四夜をつづります。

いまだに宙ぶらりんの日々。

 

梅雨らしい蒸し暑さが戻った今朝、真夜中に着信していたメルマガを読む。
そのメルマガの執筆者は今、ツイッターという言論の場から締め出されている。それでも、メルマガでの彼は健在であるように感じた。

今回、選ばれた題材はアレクサンドリア・オカシオ=コルテスだった。
そして切り取られたのは、2020年のアメリカ合衆国下院議員選挙での彼女の闘い方だ。

読み書きできるのは日本語だけの私にとって、このメルマガが時々伝えてくれるアメリカ合衆国についての独特の情報は、読んでいて楽しいものの一つだ。
(もう一つ、ネット上で読み続けているのは、白井青子さんの『ウィスコンシン渾身日記』。こんなふうに日本以外の国で暮らしてみたかったなと、ちょっとうらやましく感じながら読んでいる。)

アレクサンドリア・オカシオ=コルテスを題材にした今回のメルマガの結論は、”闘う相手には直角に当たることが重要だ”というものだった(これは、執筆者のこれまでの主張に沿ったものだ)。

読み終わって、遥か遠いアメリカから、眼の前の日本の現実へと意識が戻る。

宙ぶらりんの暮らしが続くなか、7月の東京都知事選挙も、「神のみぞ知る」衆議院解散・総選挙も、”闘う相手”は見えながら、”闘い方”は見えてこないのがもどかしい。

 

いまだに私のカレンダーは白紙のまま、日々の外出も半径2㎞以内のまま。
分かっているのは、私が今”直角に当たるべき相手”は、”自分そのもの”ということ。
そして、その”直角の当たり方”とはどのようなものか、やはり分からないのだった。
悩ましい宙ぶらりんの日々を繰り返している。

 

f:id:vgeruda:20200626135130j:plain 海とハマユウ

 

f:id:vgeruda:20200626135203j:plainバッテン印の花(ヒルザキツキミソウ