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私の第三十四夜をつづります。

「まあ いいか」を読んで。

 

夕方になって街に出ると、駅前で2020年豪雨災害」の救援募金が行われていた。

2011年の大地震と大津波の生々しい記憶も消えないなかで、この数年、大雨や台風などによる圧倒的な破壊が容赦なく繰り返されている。そのたびに人々は打ちのめされ、打ちひしがれる。そして、そのたびに人々は何度でも力をふりしぼって立ち上がらなくてはならないのだ。

そこに加えて、今年はコロナ禍が重なっている。被災地の人々はマスクも消毒もままならないどころか、日常そのものを奪われ、悲しみや不安と疲労のさなかにあるのだ。
報道番組で、家族とともに泥出しを手伝う少年の小さな体、その汚れた手足を眼にする。自分にできることを黙々と果たす子どもの姿は頼もしく、切ないものだった。
それにひきかえて、我が身にかまけているだけの自分の姿が否応なく見えてくる。いつものように、”あるべき姿の自分”と”情けない姿の現実の自分”との撞着で落ち着かない気分になってゆく。

そんな時、夕刊のコラムを読んで、少し気持ちが落ち着く。
その大竹しのぶさんの連載エッセイ「まあ いいか」には、いつもぬくもりを感じて励まされてきた。そして今回も、愚図ついた気持ちはそのままに、「
まあ いいかな…?」と思えてきたのだ。

果たして、とりあえず「まあ いいか」とやり過ごす。そうしてしまっていいものかどうかわからない。

きっと、この先も何度も繰り返す「まあ いいか」。それに救われ続けていいものかどうかわからない。

それでも、まずは、自分にもできること、それをしようと思う。

 

梅雨の晴れ間の空(7月9日)

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梅雨の晴れ間の赤い実

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