今朝、眺めていたツイートの最後にこうあった。
「…人間の顔のない資本主義から人間の顔をした福祉型資本主義へ。2分動画見てください。」
で、短い動画を見てみる。ふーむ、と思った。
動画の中の白いボードには、話の概要と、その横に『千と千尋の神隠し』の”カオナシ”と”千尋”の顔が描かれていた。そして、短い解説が進行し、私は、あっという間に話者の術中にはまっていた(こんなふうにジブリの絵柄を使うのはずるいと思いつつ)。
夕方、海に出かけた。
(昨日の夕方、買い物帰りにマスクを外した時、潮の香りに気がついた。海を渡る風に乗ってきた…遠い記憶を運ぶ香りだった。)
曇り空の今日、浜辺には、ぽつり、ぽつりと、”それぞれの海”を楽しむ人々の姿があった。
私も、しばし、足元に寄る波の音、波消しブロック上の海鳥たちが啼きかわす声を聴いた。
背中に海風を感じながら、また巣ごもりの家へと戻った。
夜になって、今度は内田樹氏のインタビュー記事を読んだ。ふむふむ、と思った。
現在のアメリカと、コロナ以後の日本の分析(氏は、トランプ政権のもと、BLM運動によって深まるアメリカ社会の分断の様相を、”南北戦争の対立スキーム”として読み取り、また、コロナ以後の日本の生存戦略は”日・韓・台・香の合従策”にあると主張する)を、私はまたもや、するすると飲み込んだ(氏が提示するイメージは、いつもシンプルで、しかも飲み込みやすく調理されているのだ)。
『千尋の顔をした資本主義…か。きっと、真っすぐな心を持った人間の顔なんだろうな…そんな世界に変わらなければ…本当に変われるだろうか…』
『日・韓・台・香の合従策…か。文字面では理解できるけれど、現実的なイメージより、ひどく困難そうな道のりを先に想像してしまう…失敗できない怖さというか。新しい道へと踏み出すには勇気がいりそう…』
もやもやとしていると、野鳥時計が「仏・法・僧…」「仏・法・僧…」と時を告げる。
そのコノハズクの淡々とした声が、私の今日のもやもやに区切りをつける。
7月21日の海
波上の父・子
ハマゴウ 持ち主とはぐれてしまった靴(歩道橋で)