enonaiehon

私の第三十四夜をつづります。

「東京長浜観音堂 OPEN」

 

先日、「東京長浜観音堂 OPEN」を知らせる案内状が届いた。
昨年秋、不忍池のほとりにあった「びわ湖長浜 KANNON HOUSE」が閉館することを知った時、あの小さな静かな空間が消えてしまうのか…と淋しい気持ちになった。なので、今夏から日本橋に、”長浜の観音堂”の新しい空間が生まれるという知らせが突然届いたことに、少しだけ驚き、次いで、光が射し込んだような感覚を味わった。

思えば、あの小さな静かな空間も、不思議な感覚なのだった。
首都のその中心部に、ぽっかりと、近江の国の小さな観音様がいらっしゃる空間が存在すること。小さな観音様と出会い、そこで生まれる何かしらの心のゆらめきを、自身に問い、そして観音様にも問いかけてみる…そうした”場”が、私たちを導くように用意されていること。

 

案内状には【…長浜の観音像とその背景にある「祈り」の文化を首都圏において発信し…】とある。

そうなのだ。誰も「人々の祈り」を犯すことはできない。無いものにすることはできない。無価値にすることはできない。そう強く思うことが最近あったのだった。

 

コロナ禍が続き、その出口は見えないまま。
日々の報道でミャンマーの惨状を知っても、何もできないまま。
焦りや苛立ちがさまざまにトグロを巻いている。
それでも、それらの澱も、祈りの場にあっては少しく鎮まってゆくはずだ。
夏になったら、日本橋に出向こう。そして、小さな観音様に問いかけてみよう。

 

f:id:vgeruda:20210403234217j:plain