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私の第三十四夜をつづります。

ミャンマーの行方は?

 

 

6日朝、ミャンマー民主派、「防衛隊」設立を宣言 国軍に対抗(ワールド 2021年5月6日)というロイターの記事を見た。
そして、そこに掲げられた写真は、この宣言より1か月ほど前に撮られたものだった軍事クーデターへの抗議デモで、手製のエアガンを構える抗議者ら。ヤンゴンで4月3日撮影、提供写真(2021年 ロイター))。

写真の中で銃を構える青年たちの姿(実戦経験を持っていない?姿)に、不安を覚えないではいられなかった。
そして、5日に「防衛隊」設立を宣言した【ミャンマーの民主派勢力の「挙国一致政府(NUG)】とは、どのような組織か?と思った。

少なくとも、最近読んだ新聞記事【少数民族勢力 抵抗か静観か ミャンマー国軍と戦闘 結集不透明朝日新聞』2021.5.1 朝刊2面】に、そのような動きは書かれていなかった。

2020年1月半ばにミャンマーを旅した私にとって、その5月1日の新聞記事で印象に残ったのは、シャン州のパオ民族解放機構の指導者の次の言葉だった。

「内戦が深刻化すれば、大量の難民が生まれ、紛争が30年は続くだろう。解決には交渉しかない」

 

ミャンマーの内戦化を予想させるようなロイターの報道と、日本で今なお太平楽を並べ続けている私との落差を思う。
(カックー遺跡近くでパオ族の女性のターバン姿を写真に収めた観光客の私は、結局、何も見てはいなかったし、今もきっと、何も見えていないのだ。)

それでも、思わないではいられない。

『私が今、ミャンマーに生きる若者だったら、あの「防衛隊」の道筋に進むのだろうか? それとも交渉の道筋を選ぶのだろうか? そして将来、日本の人々が、ミャンマーと似たような事態に直面した時、人々はどこへ向かうのだろう…』と。

 

≪追記≫
午後になって、もしや?と、ミャンマーについての朝日新聞の切り抜き記事を読み返してみた。
すると、すでに4月26日、5月2・3日の記事のなかで、「NUG」について取り上げられていることが分かった。
その4月26日夕刊の記事では、「1988年の民主化運動に参加したメンバーら7人」が中心となって、4月に「統一政府」(NUG)を樹立したことが書かれていたし、5月2日の記事では「4月16日 スーチー氏の支持者らが「統一政府」の樹立を宣言」とあった。

(事程左様に、私が何を見ても・読んでも、情けないことに、”何も見ていない・読んでいない”ことが明らかになってしまった。)

 

 

クロード・モネ(5月5日 人魚姫の公園で)f:id:vgeruda:20210506112354j:plain