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私の第三十四夜をつづります。

雨のち晴れの日曜日。

 

 

6日、東京の友人と平塚市美術館で待ち合わせ、「川瀬巴水展」を観た。

美術展に出かけるのも、友人と会うのも、一緒に食事をするのも、何て久しぶりなんだろう…。

雨の日曜日の美術館。

展示室でも、レストランでも、人々はみな”普通の時間”を”普通に楽しんでいる”ように見えた。

みなマスクをつけていること、アクリル板を挟んで食事をしていること…異様な風景が、”普通の顔”をして現実世界に滲出していた。
人々は素直に受け入れているのだったし、もうすでに、マスクもアクリル板も、人々には見えなくなり始めているのかもしれなかった。

 

友人が、食卓の隅で、巴水展の絵葉書を書き始めた。共通の友人たちにその絵葉書が届く瞬間を思い浮かべた。元気かな…と思う。

美術館の周囲に配された”水辺”に落ちる雨粒がまばらになり、歩道の人々が傘を閉じて行き来するようになった。

レストランを出ると、傘は日傘になった。

バスで駅に向かい、家に立ち寄って靴を履き替えたあと、友人の希望で海に向かった。
(慣れない靴を履いていたせいで、治療中の右足は鈍痛でじんわりと重くなっていた。)

何十年ぶりに乗ることになった「市内廻り」のバス(今は「南口循環」と表示されていた。南口から海に向かい、南の町中をぐるっと一周りして駅に戻っても180円)。
予想していた廻り方と逆廻りだったので、慌てふためいてしまう。結局、ぐるりと一周近く廻って、海に到着した。

 

友人と訪れた海…いつものままの”平塚の海”だった。
大島も富士山も、6月の空にうっすらと浮かんでいた。
引き波のなかで、紫色の二枚貝を拾い上げた。

友人は波打ち際から、富士山の姿を撮っていたけれど、写っていただろうか?

友人たちは絵葉書を見て笑顔になってくれるだろうか?

 

 

 

f:id:vgeruda:20210607191256j:plain川瀬巴水展」の絵葉書セットから
(左:「上州法師温泉昭和8年、右:「東京二十景 新大橋」大正15年)
展示されていた作品の多くに、陰翳・光・雨へのこだわりが感じられたけれど、こうした”人”を取り入れた作品も、のびのびとして気持ちが良い。法師温泉の湯気も温かい。

 

f:id:vgeruda:20210607191307j:plain6月7日朝、咲き残っていた薔薇(人魚姫の公園で):中心に薔薇の瞳が覗いている。