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私の第三十四夜をつづります。

『頼朝以前』…そのタイトルに惹かれて…

 

 

【12C中葉とされる相模国府移遷(大住郡 ⇒ 余綾郡)の動きと、当時の相模国司・国主たち(八条院に近しい人々?)や相模国での源義朝の動き(たとえば、三浦氏・中村氏を従えての大庭御厨乱入など)とは、連動するものなのか?】

 

この問いかけは、私の頭の中で、長い間、虚しく堂々巡りをしているものの一つだ。

で、思い立って、鎌倉歴史文化交流館の企画展『頼朝以前ー源頼朝はなぜ鎌倉を選んだか?ー』に出かけることにした。
相模国府移遷は、その時期に、誰が、何の目的で行う必要があったのか?」を考えるヒントが、今回の企画展にあるかもしれないと、ほのかな期待を抱いて…。

結論を言えば、当然ながら、”頼朝以前の時代”は”義朝の時代”にフォーカスしたものではありえず、私の期待と企画展の狙いとはすれ違うこととなった。

それでも、久しぶりに出土資料を眼にし、展示解説を聴き、”VR永福寺”を体験し、館の建築や無量寺ヶ谷の空間を楽しむことで、澱みがちな脳味噌をかき回すことができた。

また、館に向かう時は佐助方面から遠回りをし、帰りには、3年ぶりに壽福寺に立ち寄ることもできた。

『頼朝以後』の現在の鎌倉は、コロナ禍の波間にありつつも、人々の賑わいを取り戻している。
鎌倉に住む人々にとって、この賑わいが喜ばしいものかどうか…と思いつつも、私にとって、やはり、鎌倉の緑の谷々の間に紛れ込む喜びは格別だった。

 

f:id:vgeruda:20211031121038j:plain10時の空に残る月

 

秋に咲くツツジ
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鎌倉歴史文化交流館近くの隧道
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墨書土器(平安時代 由比ガ浜中世集団墓地遺跡):
『鎌倉で「壬生」墨書土器…何世紀の資料だろう?』、そして『なぜ由比ガ浜でそのような墨書土器が?』と思ったけれど、残念ながら実物は展示されていなかった。
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合槌稲荷社跡からの眺望
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壽福寺の花影
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壽福寺の木洩れ陽
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