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私の第三十四夜をつづります。

秦野市蓑毛~寺山~西田原に残る仏像群(2)

 

蓑毛の坂から望む相模湾と大島:
大日堂を出て坂道を下り始めた。すると眼の高さの空に、平塚の海から見る時よりずっと大きな大島のシルエットが浮かんでいてびっくりする。自転車愛好家たちが、ヤビツ峠から勢いよく走り下ってくる姿を見送りながら、道路の真ん中で大島の島影を撮った。

 

道端のザクロやサザンカ、磨り減った双体道祖神などの石仏…里の秋を味わいながら寺山へと向かう。
坂の途中に建つ「緑水庵」の庭では、草むらでモジモジと翅を動かしているシジミチョウを撮った(家族に見てもらうと、シルビアシジミという珍しい蝶らしい。ちょっと嬉しくなる)。

 

円通寺で(秦野市寺山)】


十一面観音菩薩立像:
やや里に近い静かなお寺は、法事のために訪れる方々や、公開中の仏様の見学客が絶えないようすだった。
こちらでも写真撮影を許された。間近で遠慮なくカメラを向けることの疚しさよりも、仏様を独り占め(?)できる嬉しさのほうが大きかった。

 

 

円通寺曹洞宗)ご本尊の右手に祀られている十一面観音像について、パンフレットでは「像高120.7センチメートル 寄木造 玉眼 推定製作年代:南北朝(平成3年解体修理実施秦野市教育委員会とされている。湖北の小さな観音様たちのように親しみやすい大きさで、眼差しはどこかお地蔵様に通じるような印象だった。

 

 

寺山の坂から、秦野の市街地、大磯丘陵、双子山・箱根山を望む

 

【金蔵院で(秦野市西田原)】

最後に訪ねる金蔵院は、これまで下ってきた一本道から2㎞ほど西に入ったところにあった。道の途中には、「波多野城跡」・「源実朝公御首塚」へと旅人を誘うように案内板が出ている。
源実朝公御首塚」を見守るような位置に金剛寺というお寺も建つ。その金剛寺こそ、先日、金沢文庫で拝した観音・勢至菩薩立像阿弥陀三尊立像としての両脇侍)を蔵するお寺なのだった。

今回、それらの史跡やお寺に立ち寄ることができないのが心残りだったけれど、公開時間の3時までに見学を終えなくてはならないのだ。こうして、秋の一日は、またたく間に過ぎ去っていった。

 

 

金蔵院(こんぞういん)阿弥陀如来坐像:
まず畳に座り、見上げる形で拝する。クッとつぐんだような口元と、彫眼の閉じかけた目元が印象に残るお顔だった。
パンフレットには「後世の補修が多いものの、頭部と体部の主要部に当初の姿をうかがうことができ、やや高い肉髻やおおぶりの目鼻口には地方色を漂わせています。一木造の構造や、浅目の衣文表現から見て製作は平安時代末とみることもできますが、面相に強い表情が示されているところから、鎌倉時代に入って作られたものという考え方もあります。」と説明されている。「強い面相」とあるのは、口元だろうか…?

 

 

《メモ:金蔵院境内の「三日月供養」塔》
平塚では見られない石塔。月待ち塔の一つだろうか。
「三日月供養」の文字上に、文様(二つの雲と、二十六夜ほどの月)が彫られている。
三日月の形 ☽ ではなく、 の形が描かれているのが面白い。