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私の第三十四夜をつづります。

遠い島①

 

11月の時間のあらかたが、あっという間に消えていった。

11月半ば頃、家族との旅に出かけた。帰ってから博物館の講座などに出かけた。そのくらいしか思い出せない11月だった(まだ終わっていないけれど)。
するすると消えてゆく記憶をとどめるために、せめて旅の写真をまとめておかなくては、と思う。

 

家族との旅先は壱岐対馬だった。
沖縄より近いはずなのに、ずいぶんと遠い島に出かけてゆくような気持ちだった。
古代から大陸や朝鮮半島と対峙してきた島国…そんなぼんやりとしたイメージだけを抱いて飛行機に乗り、船に乗った。

そのイメージは半ば当たっていたけれど、21世紀の壱岐対馬の風土は、”私が暮らしてきた場所”と平らかにつながったところだった(沖縄の気候・風土のエキゾチックな印象に通じるような何か…は感じ取れなかった。短い慌ただしい旅だったからかもしれない)。

 

壱岐島
郷ノ浦港で:
慌てて撮った壱岐の考古資料(船客たちは列をなして並んでいるけれど、この貴重な展示には気がつかないようだった。もったいないことに、ゆっくり観る時間もなかった)。
それでも、この重量感のあるつやつやした「丹塗りの壺」の丈夫そうな口縁に見とれた(口縁がこのようなソロバン玉状の弥生土器は、これまで見たことがないように感じた)。どのような祭祀に使われたのだろう?

 

 

 


原の辻一支国王都復元公園で:
魏志倭人伝』の世界が、のどかな丘陵上に晴れやかに広がっている。
歴史を学びたい気持ちを持ってはいても、弥生時代については、教科書以上に学ぶことがないまま過ごしてきた。不勉強のままで遺跡を見渡す私を、鳥居の鳥たちが「もったいなかったね!」と声をかけてくる。

高床式建物の復元建物が建つあたりに、「日本最古の権(けん)」の案内板が据えられていた。旅の前に、吉野ヶ里遺跡奈良時代の「権」が出土したという記事を読んだばかりだった。
帰宅後、この原の辻遺跡出土の「権」について調べてみると、”弥生時代後期~古墳時代初頭の遺物包含層から出土”し、”中国華北地域産”で、重さは150gということだった。壱岐が大陸と交易していた時代の一コマを小さな遺物が語っているのだった。

ガイドの方も、公園の北を東西に走る”旗鉾川”のこと、公園の西側に広がる現在の水田から”船着き場”の遺構が発見されたこと、ここが“海を介した国際貿易都市”であったことでなどを、穏やかに熱心に語ってくださった。不勉強な観光客の頭にも、壱岐のかつての姿がおぼろげに浮かび上がってくる。
また、復元建物の屋根は、カヤを逆さにして葺かれているとの説明もあった(後で調べると、「茅逆葺 かやさかぶき」という手法で、韓国の伝統民家の技術を取り入れたものなのだった)。

 

復元された高床式建物の下に置かれた「日本最古の権(けん)」の案内板(写真中央部)