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私の第三十四夜をつづります。

遠い島②

壱岐対馬の位置厳原町「ふれあい処つしま」で)
今回の旅で見聞したことの多くが、壱岐対馬地政学的な位置づけと係わったものだったように思う。大陸や半島から人と文化が渡来する窓口となったこと。元寇が襲来したこと。対馬壱岐の沖合で日本海海戦が繰り広げられたこと。宗氏が交易の手腕をふるったこと、そして偽書(国書偽造)事件を引き起こしたこと、朝鮮通信使を接待したこと。明治~昭和期に数多くの砲台が設置されたこと。ガイドさんからさまざまなことを聞き、対馬壱岐が海を介して他の国とつながっていたことを、よりはっきりと意識する旅となった。

 

対馬島
対馬では、拾ってはいけないものを拾ってしまった。
表面採集するつもりもないのに、ふと目についたものを拾い上げてしまう悪癖がまだ抜けない。で、対馬で二つ拾ったうち、一つを持ち帰ってしまった…(ごめんなさい)

一つは「対馬藩お船江跡」で拾った。これはガイドさんが「文化財課で見てもらいましょうか」となり、写真を撮っておいた(つまり名残り惜しかった…)。
ガイドさんと別れたあとに「清水山城 (しみずやまじょう)三の丸」でも拾ってしまった。置いて帰るべき…という思いと、帰ってから洗って見てみたい…という思いの間でかなり迷った。結局、欲望に負けて持ち帰ってしまった。
家で洗って、ためつすがめつして首をひねった。『近代? 現代? もしかして清水山城の時代だったりして?』(ごめんなさい)

 

対馬藩お船江跡」(対馬市厳原町):
初めて見るドックの遺構…背景の山や林とあいまって美しい。カルガモマガモが気持ちよさそうに泳ぎ、湖のように静かで閉じた空間だ。すぐ外海につながっているとは思えない。

 

案内板の足元で拾ったもの:高台の径が数cmほどの小皿? 案内板には「お船江」が造成されたのは1633年と書かれていたけれど、文化財課の方はどの時代のものとされただろうか?

清水山城の三の丸から見た厳原港と町並み:宿泊したホテルもすぐ眼下に。

 

三の丸で拾いあげたもの:長さ数cmの薄い破片。手で触って楽しむことはできたけれど、私には器形も思い浮かばない。やはり持ち帰るべきではなかったかな?(もし、新しい時代のものではなかったのならごめんなさい!)

 

万松院の展示物(対馬市厳原町):上対馬町の鰐浦では空気が霞み、楽しみにしていた朝鮮半島の陸地を望むことができなかった。ただ、厳原町では、宗家の菩提寺・万松院で朝鮮半島所産の品を目にした。また、慌ただしくはあったけれど対馬博物館でも「対馬の外交Ⅱ 朝鮮通信使―江戸登城・淀川上り・文化交流」を見学した(淀川を上る”川御座船”の絵を見ることもできた)。

 

ツシマヤマネコ

対馬野生生物保護センターの「かなた君」と厳原港で見かけたイラスト:
「かなた君」は見学中、ずっと毛づくろいに夢中だった。ずっと元気でいてね!




福岡空港からの夕景:夕陽が沈み、暗くなって人工の光が輝きはじめるまでデッキで過ごした。旅の終わりにふさわしい時間だった。旅が終わり、また日常が始まる。