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私の第三十四夜をつづります。

夏草や…古墳・国分寺の夢の跡

 

7日、残暑延長戦に負けず…やや、負けたかもしれない…、海老名の相模国分寺跡や、その南に連なる遺跡群を巡った。
(サークル活動で海老名を訪れたのは、四半世紀ぶりだろうか。眼を見張るような駅周辺の変わりように比べ、史跡公園や遺跡群は当時の姿を保っていてなつかしく感じた。)

温故館では、詳細な解説冊子(「えびな文化財探求書 其ノ壱 史跡相模国分寺跡 史跡相模国分尼寺跡」・「えびな文化財探求書 其ノ弐 史跡秋葉山古墳群」)を手に、丁寧な説明を拝聴し、リニューアルされた展示をゆっくり見学した。
(その解説冊子の表紙には、四半世紀前には想像するしかなかった秋葉山古墳3号墳の墳形も描かれていて、新鮮な印象を受けた。)

展示された出土資料も初めて目にするものも多かった(見たことを忘れているだけなのかも?)
そして、平塚市内の出土資料を見慣れた目からは、海老名市の縄文時代の土器や古代の土師器・須恵器・灰釉陶器の”雰囲気”がどことなく違うように感じるのが不思議だった…どう違うのか言葉にできないのがもどかしい…
(また相模川を境として、古墳時代相模川左岸・右岸の様相の違いは、古代の高座郡・大住郡の様相の違いに係っているのだろうか?とも思った。)

温故館の充実した展示で刺激されたあと、相模国分寺跡~逆川跡の碑~現・相模国分寺~瓢箪塚古墳~浜田三塚公園~浜田歴史公園(上浜田中世建築遺構群)を訪ね歩いた。そして、かつて意欲を持って勉強したことを今やほとんど忘れてしまっていることを思い知った。(それでもまだまだ知りたい…。夏草でおおわれて「夢の跡」となっている古墳も国分寺も、いつかまた新たな調査・研究によって注目を集めることがあるに違いない。その時まで『まだまだ知りたい…』という欲望を持ち続けられると嬉しい。)

 

【温故館】

相模国分寺の復元模型(100分の1)
立派に復元された模型を見ていると、そのまま法隆寺西院伽藍の姿とだぶってくる。しかも、その面積は西院伽藍をはるかにしのぐ。
(こうした国分寺創建にかけた当時のエネルギーに圧倒される。そして、現在の五輪や万博の在り方などをつい思い浮かべてしまったりする。)

 

秋葉山古墳2号墳の円筒形土製品:
この円筒形(筒状)土製品も、かつて平塚市博物館夏期特別展「相武国の古墳 相模川流域の古墳時代(2001年)で見ていたはずだが、今回、改めてその位置づけを理解した(また忘れてしまうに違いない…)

土器片の鳥形貼付文(本郷遺跡出土)
本郷遺跡は古代だけでなく、このような弥生時代の遺跡でもあることを初めて知った。(連想するのは、お菓子のひよ子だったり鳩サブレだったり?)

 

相模国分寺跡】

金堂跡の礎石と碑:
京都の西寺跡を訪ねた時のことを思い出した(確か、あの時も暑かった…)
広さは同じくらいだろうか、それとも、こちらのほうが広いだろうか? 
平塚市内で、北方遺跡・相模国分尼寺を含めたこうした広大な寺域にふさわしい場所、七重の塔などの建築物の重量に耐えられる場所を思いつかない。)

 

【瓢箪塚(ひさごづか)古墳】

古くなった説明板:
昭和25年頃の瓢箪塚古墳の姿をとらえた写真に引き込まれる。
平塚市でも、真土大塚山古墳がこんなふうに残されていればなぁ…と思わずにいられない。)

相模国造之墳墓」と記された碑(後方部)  墳丘上の樹間から望む海老名市街

 

【浜田歴史公園】

なぜか、(四半世紀前より)狭苦しい印象?
(周囲の植え込みや樹木の繁茂・成長のためか、遺構の全体像や、「斜面の谷戸地形を利用」して「二段の造成面」につくられた建物群の立地環境などが把握しにくくなっているように感じられた。)

 

 

【番外】

相模国分寺跡のヤマトシジミ       海老名駅近くのアカボシゴマダラ