enonaiehon

私の第三十四夜をつづります。

どこからか「さようなら」が。

 

今日19日、横須賀線の電車の中で谷川俊太郎さんが亡くなったことを知った。

はっと思い、すぐにそのまま受けとめた。

17日の「どこからか言葉が」朝日新聞を読んだ人は、きっと同じように受けとめたのでは、と思う。

月に一度、谷川さんの詩が載る欄を読む。

17日も読んだ。そして、いつもと違う谷川さんのつぶやきを聴いたのだ。

「どこからか言葉が」…その欄はいつも窓のように開かれていた。
その窓は透明な箱のような空間からこちらに向かって開かれ、そこに入ると、谷川さんが見た言葉の形が、くっきり見えるような気持ちになった。

17日に聴いたつぶやきは、今いっそうくっきり見える。そして透明な箱の窓はもう開くことがないのか…さびしいことばかりだ。

 

19日、逗子の神武寺で咲いていたセッコクの花:”感謝を神に、世界に、宇宙に…”

追記:今朝20日の朝日紙を読み、谷川俊太郎さんが最後につぶやいた言葉は(「さようなら」ではなく、「さよなら」でもなく)「じゃあね」なのかもしれないと思った。「じゃあね じゃあね…」と。