今日19日、横須賀線の電車の中で谷川俊太郎さんが亡くなったことを知った。
はっと思い、すぐにそのまま受けとめた。
17日の「どこからか言葉が」(朝日新聞)を読んだ人は、きっと同じように受けとめたのでは、と思う。
月に一度、谷川さんの詩が載る欄を読む。
17日も読んだ。そして、いつもと違う谷川さんのつぶやきを聴いたのだ。
「どこからか言葉が」…その欄はいつも窓のように開かれていた。
その窓は透明な箱のような空間からこちらに向かって開かれ、そこに入ると、谷川さんが見た言葉の形が、くっきり見えるような気持ちになった。
17日に聴いたつぶやきは、今いっそうくっきり見える。そして透明な箱の窓はもう開くことがないのか…さびしいことばかりだ。
19日、逗子の神武寺で咲いていたセッコクの花:”感謝を神に、世界に、宇宙に…”
追記:今朝20日の朝日紙を読み、谷川俊太郎さんが最後につぶやいた言葉は(「さようなら」ではなく、「さよなら」でもなく)「じゃあね」なのかもしれないと思った。「じゃあね じゃあね…」と。