enonaiehon

私の第三十四夜をつづります。

2014.9.30

 29日、友人とともに「国会包囲共同行動」に参加した。
 議事堂をめぐる歩道には、押しつぶされた銀杏たちのしみが広がっていた。
 『戦争に巻き込まれれば、人々は銀杏と同じだ。無人機、有人機の空爆で、人は簡単につぶされてしまう。命がしみになるのだ。』
 これまで迎えた秋のなかで、道端のつぶれた銀杏を見ながら、そのようなことを思ったことは一度もなかった。
 
 心配した鎖はどうにかつながったようだった。
 私のヒステリックなシュプレヒコールなど、ストレスの発散でしかない。
 こんな時、憤りや虚しさがない交ぜになった底から、自分への忸怩たる思いが噴き出してくる。
 私の中で、『おまえはいつもいつも、そうしてきれいごとばかりだ』『いつもいつも逃げて、いつもいつもずるい』『面倒なことは何も引き受けないで生きている。嘘っぱちのきれいごとばかりなんだ』という声がする。これが一番こたえる。
 
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 友人からもらったバッジ…平塚の海が辺野古の海と同じような道筋をたどったら、私はどうするのだろう。もらう資格などないのに、私はやはりきれいごとでもらってしまった。そして自分の泥沼を、書くことで楽になろうとしている。こんな泥沼から、いつか解き放たれる時はやって来るのだろう。