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私の第三十四夜をつづります。

2012-07-01から1ヶ月間の記事一覧

2012.7.31

7月も終わってゆく。 週末の浜辺は人々で賑わうようになってきた。 浜辺暮らしの猫は、人の波が引くと、いつものベンチに戻り、いつもどおり西を向いて腹這い、遠くの海と空を見つめている(・・・ように見える)。何も持たず、何も語らず、泰然自若として哲…

相模国府域で11世紀代に継続する竪穴建物群

28日の平塚市遺跡調査・研究発表会のなかで、相模国府域の天神前遺跡第16地点の報告があった。 この第16地点の北100mに位置する第8地点(掘立柱建物3棟、竪穴建物36軒、土壙墓5基など)では、「郡厨」墨書土器(8世紀後半)、「国厨」墨書土器(9世紀中葉)…

第1回 平塚市遺跡調査・発表会

28日、平塚市で初めての遺跡調査・研究発表会に参加した。隣町の茅ヶ崎市で、同様の発表会をすでに22回重ねていることを思うと、やっと・・・というのが正直な気持ちだ(22年の継続と空白・・・その落差は、それぞれの地域の文化財に対する市民の向き合い方…

伊豆山神社の男神立像

今春の伊豆山神社参詣から3か月が過ぎた。 昨日、京都での修復を終えて熱海に里帰りした神像を、ようやく目の当たりにすることができた。美術館展示室の奥まった一部屋に、この一体だけが展示されている。神像の重量感、生々しい存在感に見合う空間だ。 初め…

2012.7.25

「サ・イ・カ・ド・ウ」 五つの音を並べた君は あの日から放射能の手垢にまみれ続けた 「再・稼・働」 今 三文字に編成され やみくもに働こうとする君は 勤勉にして愚かしい 擦り切れ果てるまで君を使い続けようとする吝嗇家たちの手から 君を奪い返すため…

2012.7.23

去年の梅雨明け頃、何をしていただろうか。今、海を眼の前にしても、津波のことを思い出さなくなっている。 老いが近しいものになった頃から、いろいろなことから遠ざかり逃げるようになった。できることなら楽に生きたいのだ。それでいい。いや、いいわけな…

2012.7.22

海への道すがら・・・今はヒルガオの花が元気だ。日本原産で”絆”の花言葉をもつという。夕方の光にピンク色が鮮やかに浮かびあがる。日本のヒルガオは可憐で元気で、カトリーヌ・ドヌーヴの妖しさは無い。フランスのヒルガオとはどのようなイメージの花なの…

2012.7.16

『われ想ふゆゑに想ひあり』とつぶやいて ふりむく駅に梅雨が明けてゆく

饒益神宝のこと

茅ヶ崎のシンポジウム『下寺尾官衙遺跡を考える』の中で、北B遺跡…下寺尾寺院跡(七堂伽藍跡)から駒寄川を挟んで南東に位置する…についても発表があった。 その北B遺跡の発表の中で、河道内祭祀遺物の一つ…皇朝十二銭”饒益神宝”…の余談として、「数が少な…

遺跡への思い

遺跡のなかには、やはり育まれてゆくものもあるのだ・・・15・16日と茅ヶ崎で開かれたシンポジウム『下寺尾官衙遺跡を考える』に参加して、そんな風に感じた。 十数年前、茅ヶ崎駅近くのビルの一室で、生まれて初めて古代瓦を見た・・・存在感のある瓦・・・…

覚書:「大上」墨書土器3点について

これまでの研究成果に基づく相模国府推定域について、その地理的景観を大まかに捉えると、次のように要約できると思う。 *東西に延び、南から北に連なる砂州・砂丘列が、北・西側は渋田川、東側は相模川に画されること。 *国府域は、西に開く谷川(やがわ…

覚書:国府域東端の古代道(2)

相模国府域を東西に走る古代道の東端は、どこで相模川を渡河するのか。 国府の景観を考える時、常に立ち戻る教科書が『平塚市史11 別編考古(2)』(2003年)だ。 砂州・砂丘列とその凹地、自然堤防などの遺跡の発掘調査報告書をもとに、相模国府域の個々の…

2012.7.9

三日間の七夕祭が終わった。街の七夕祭を最後に見たのは2005年頃だったろうか。 七夕飾りを見て海に向かう人の流れもあるのだろう、昨日の浜辺はいつもより人影が多かった。 波打ち際まで歩くと、水の香り・・・西瓜のような甘い匂いがした。 砂に残された足…

2012.7.7

昨日も今日も夕方に弱い雨が降った。北からの風が涼しい。やはり七夕は旧暦がふさわしいように思う。 気まぐれな天候とは別に 街中でも浜辺でも、地上の織姫・彦星は幸せそうだ。 海からの帰り道、店先に青紫色の大きな花の鉢植えが並べられていた。「アーテ…

2012.7.5

昨夜は2時間ほど眠り、ふと眼が覚めた。曇り硝子の窓から白い光が射し込み、寝床が照らされている。窓をそっと開けると満月だった。薄墨色や濃い鼠色の雲間を縫い泳ぐような月を眺めて寝転がっていた。暫くして、白い光は厚い雲の波のなかにすっかり閉ざされ…

2012.7.2

町の海側で七夕飾りが夕方の風に揺れている。雨に濡れないよう、まだ袋が掛けられていた。桃や林檎の実のようだ。町の七夕祭は私が生まれた年に始まった。子供の頃は、駅も七夕飾りの通りも人の熱気で溢れかえっていたように思う。そして、七夕祭にはたいて…

2012.7.1

湿った季節のなかに入ってゆくと、いつも思い出すアジアの映画がある。『青いパパイヤの香り』だ。 観た映画のほとんどを忘れてしまっているのに、ふとした日常のなかで、それらの映画の断片がよみがえったりする。観終わってなお、心のどこかに痕跡を残す映…