enonaiehon

私の第三十四夜をつづります。

2016-10-01から1ヶ月間の記事一覧

古い写真

押入れの奥から見慣れない真四角のアルバムが出てきた。 開くと、学生時代から入社間もない頃までの写真が、断片的に脈絡なく、つまりランダムに貼られている。 白い縁のある紙焼きは一様に色褪せ、写っている人たちの笑顔だけが若く輝いている。 貼られた写…

まつろふ・まつろはぬ

何だろう…ざわざわと心を乱す映像が、くりかえし、意識のモニターによみがえる。 そこに映る表情も言葉も、切り取られたことで、その意味が増幅・拡大されてゆく。 そこに映る生身の個人の一瞬の表情と言葉は、その立場ゆえに、意味合いが一層ゆがんで醜くな…

2016.10.21

20日は長袖よりも半袖、そんな”小夏日和”(?)だった。 用事のために街に出た足で、総合公園に向かった。 秋の薔薇が咲いているかもしれなかった。 公園に着くと、空を覆う大きな木々から、ハラハラと木の葉が舞い降りてきた。 林のあいだを、アサギマダラ…

2016.10.20

3月、王ヶ頭から雪を頂く山々の連環を眼にした。 18日、その王ヶ頭に再び出かけ、同じ友人たちとわずかな時間を過ごした。 秋の王ヶ頭の落葉松は黄葉が始まったばかりだった。 ナナカマドの実は紅い鈴のようだった。 道の草紅葉は露に湿っていた。 王ヶ頭を…

大江公資の大和国山口庄

歌人相模の初瀬参詣に大江公資は係わっていたのだろうか…この疑問が生まれたのは、『更級日記』の作者の初瀬詣でに、作者の夫・橘俊通も同行したとうかがわせるような解釈があったからだった。 つまり、歌人相模の初瀬参詣の場合、その時期での大江公資との…

2016.10.11

10日、高麗山に出かけた。 前日の天気予報で”お出かけ日和”と聞いていたけれど、10日の空は雲に閉ざされ、陽射しは薄かった。 高来神社に着いて、お参りする。 祝日の境内は人の姿がいつもより多かった。 登り始めた山道は、一層暗く、ひっそりとしている。 …

2016.10.9

季節が移ってゆく時、つぶやきのようなものが聞こえる時がある。 季節も、私たちと同じように前に進むしかないのだなぁ…などと思ったりする。 季節は、兵隊さんのように、決まりきったテンポで、勢いよく、整然と行進することはない。 季節は、私たちと同じ…

平和 peace

今日のニュースで知った。 ”太陽の塔”が甦るらしいと。 40年ほど記憶を遡る。 かつての私が見上げた”太陽の塔”は、万博の宴のあとを象徴するように、力を失って所在無げだった。 そして、その場の記憶は、なぜか”ピース缶爆弾”という不穏な言葉とともに甦る…

眠っていた雑誌

『別冊文藝・天皇制----【歴史・王権・大嘗祭】』(河出書房新社 1990年) 2日前、鶴見までの電車のなかで何か読む本を…と、棚の奥を探してみた。 あった、あった。 大昔に古本屋で見つけた雑誌。 そのまま読みもせず、棚の奥に眠っていた雑誌。 発行から26…

歌人相模の初瀬参詣ルート探訪⑨:”なら へまかりける時に、をとこ山にて”

今回の奈良の短い旅は、歌人相模の初瀬参詣推定ルート(河内国~「龍田道」経由)の一部を、実際に歩いて確かめてみたい、という気持ちが強かった。 そして、今回歩いたわずかな範囲に限って言えば、その想定と大きく食い違う材料は見えてこなかった。また、…

多武峰を訪ねる②『多武峰往生院千世君歌合』の”千世君”

およそ11世紀後半、 多武峰(現・談山神社)の往生院で、僧侶たちによって地味な歌合が催された。 その『多武峰往生院千世君歌合』には、「三番 叢露為玉 左 千世君」として、次の歌が掲げられている。 5 つきかげに みがけるたまと みえつるは はぎのうはば…

八百屋の店先

ついぞ客の姿を見たことのない八百屋 店先に無造作に並べられたプラスティックのざるには いつもバナナだったり玉葱だったりトマトだったり 店の一番の売り物はたぶん音楽 人けのない店からはいつだって音楽 ほら今日はボクサーだね 胸がずきんとするよ そう…

多武峰を訪ねる①桜井駅~談山神社~御破裂山

【旅のメモ】 _________________________________________ 9月17日(土)晴れ 7:30 宿のフロントに荷物を預け、桜井駅に向かう。5分とかからない。 *桜井駅南口バス停でバスを待つ。朝の風が吹く。 8:12 小ぶり…