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私の第三十四夜をつづります。

2月26日に。

東京でも雪降りとは無縁の2月26日だった。

その2月26日の午後、衆議院予算委員会は野党党首らを質疑者に迎えていた。

そして、夕刻になる頃には、とりとめない思いが浮かんだのだった。
『今日、もし大蔵官僚時代の平岡公威がこの場に臨んでいたならば、どのような表情を浮かべていただろうか』と。

 

国会の予算委員会という場。
腕を組み天を仰ぐ人、目を閉じ続ける人、うつむく人、苦笑する人、だらしなく座るだけに見える人…私たちを代表する人々が、それぞれの立場で、それぞれの思惑で、答弁者と質疑者のそれぞれが発する言葉を受け止めている。

2月26日、答弁に立った法務大臣は、その権威の在処を自ら貶め続けた。
権威に寄生するだけの正体を顕わし、拠って立つ権威を毀損して恥じない姿を、臆することなく私たちに見せつけた。

この人は、”鶏が啼く前に三度裏切った”…国会という場で。そう感じた。

議会制民主主義を裏切り貶める者、法治主義を破壊する者が、このように凡庸な姿形で現れ、私たちを騙る言葉を発する。
その現実を改めて、ありありと目の前にした2月26日だった。

相模川河口で。

f:id:vgeruda:20200214195613j:plain               川面で休むカモたち

 

2月から新しいノートパソコンを使い始めた。まだ windows10 の導線に慣れない。勝手が違って、ウロウロ・おろおろ、無駄な動きを繰り返してばかり。

毎日、頸も肩もズンと重い。我慢が続く。しだいに我慢ができなくなる。そして、楽になりたい一心で、我慢していた頭痛薬に手を伸ばす。

で、そんな自分に対し、必ずウジウジと思うのだ…薬を飲まないで、もう少し頑張れたんじゃないのかと。すると、もう一人の自分が言い訳をするのだ…もうこんな歳になったのだし、我慢することもないでしょうと。

私にとって、無くてはならない喘息の吸入薬と頭痛薬…違法な薬物でなくてよかったと、まじめにそう思う(まったく、なんでこんなに薬に頼ることが疚しいのだろうか?)。

やれやれな日々。やれやれな性分。

昨日は、珍しくどこにも痛みがなかった。喜んで散歩に出た。

相模川は青くゆったりと流れていた。
南風が吹いてさざ波が立ち、川面のそこかしこに、艶やかな黒髪を梳きためたような美しいたわみが生まれている。カモたちの群れも、ただ波にたゆたって、温かな陽ざしに安らいでいるように見えた。

私も、陽ざしとさざ波に満たされ、久しぶりに深い呼吸をした…細胞にも血液にも筋肉にも、薬とは違う”何か良いもの”がしみわたった気がした。

 

f:id:vgeruda:20200214142438j:plain相模川河口にかかる橋と青い流れ:左手は茅ケ崎市

 

f:id:vgeruda:20200214142508j:plain相模川の上を行き来するジェット機:訓練中の哨戒機だろうか。

ミャンマーで ⑨ カメラで見てきただけ…その数々。

 

旅から帰ったあと、東京で友人たちと食事をした。
ミャンマーの旅に話題が及び、友人から「なぜ、ミャンマーに?」と問われた。
とくにこれといった思い入れはなく、家族の旅に同行した私は、その「なぜ?」という問いに戸惑った。
さらに話題は進み、友人はロヒンギャ問題についてのスーチーさんの対応が不満だと言うのだった。ここでは、もっと困った(友人は、スーチーさんにがっかりした気持ちになっているのだし、それはそうなのだったし…)。

ただ、ガイドさんが旅の最後に、ロヒンギャ問題に対する思いを私たちに訴えるように話したこと(ミャンマーやスーチーさんに対する国際的な批判報道が偏ったものであると考えていること、自国がまだまだ貧しいと思っている国民にとって、異教のムスリムの強さ…例えばその信仰や一夫多妻により子供が多いことなど?…への恐怖感があること、極端に言えば、将来的にムスリムに自国を乗っ取られるのでは?というような恐怖を感じていることなど)を思い出さないではいられなかった。

もちろん、ガイドさんの語る”危惧”が、宗教ナショナリズムの流れから生まれた杞憂に過ぎないかもしれず、そのやや内向きの認識について、友人が納得するわけもなかったけれど、スーチーさんの政治的な言動の背景には、ミャンマーの人々の現実の声があることは確かなのだと思ったのだ。

むずかしい…何事も。

『仏教の国ミャンマーで、僧侶をはじめ、現世で功徳を積む善良な人々の良心は、難民に対する差別や迫害の問題について、これからどのような答えを探してゆくのだろう?』
今、そんなことも思う。そして、同じようなことが、私たちにも問いかけられているのだろうと思う。

 

さて、ミャンマーで、私はいったい何を見てきたのだろう。
旅の写真の数々をもう一度眺めてみる。

そこには、何も考えずにシャッターを押し続けた観光客の目があるだけなのだった。
そして、次の旅に出かけたとしても、やはり観光客の目のままで終わりそうに思うのだ。

 

「なぜ、旅に出るのか?」・・・私の正直な答えは、たぶん、「日常ではない時空間へと羽ばたきたいから」という、ただそれだけのことらしかった。

 

【カメラで見てきただけ…その数々】

f:id:vgeruda:20200207134709j:plain浮島の家(インレー湖)

 

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 インレー湖のほとりー窓ガラスに咲く花(ヘイホー)

 

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花を持つ人(マンダレー)         パオ族の人(カックー)

 

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19世紀の木彫像(シュエナンドー僧院 マンダレー

 

19世紀の木彫像:”守護神”(旧王宮 マンダレー

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f:id:vgeruda:20200207154929j:plain森に浮かぶパゴダ群(ミンナントゥ村で バガン

 

夕刻のレイミャナー寺院(ミンナトゥ村で バガン)

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f:id:vgeruda:20200207154947j:plain                 壁龕に横たわる仏様(ダマヤンジー寺院 バガン

 

 







 

 

 

 

ミャンマーで ⑧ ”ビルマ”が名前に残る野鳥

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ビルマヤブチメドリ(バガン

 

早起きが多く慌しいミャンマーの旅。

それでも、宿の庭に出れば、異国の野鳥が啼き交わし、旅心が湧きあがった。

帰宅後、撮りためた写真のなかから野鳥を拾い出し、その名前を調べてみる。
なかなか分からなかった鳥の名前は「ビルマヤブチメドリ」。

名前のなかに”ビルマ”があり、その目つきも好ましい(性格俳優らしい面構え?)。

スズメも日本と違う印象だったけれど、それは”イエスズメ”という名がついている。

こうして、出会った生き物たちを、カメラで撮らないではいられない。

たぶん、人一倍忘れっぽい…見る力・観察する力、それをデータとして記憶する力が欠けている…から。そして、レンズを通して追いかける時間のなかで、我を忘れることができるから。

でも、どこか、カメラに頼りっきりな自分が疚しい。カメラが無くても、物事をもっとしっかり”観る”ことができる人になりたい。

そう思いながら、いざとなると、やはり後生大事にカメラをぶら下げて、旅に出てしまうのだった。

 

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イエスズメアーナンダ寺院 バガン)   カノコバト(バガン):首に注目。

 

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インドハッカバガン):”悪”そうな顔?  シロガシラムクドリバガン

 

f:id:vgeruda:20200205102634j:plainミドリハチクイ(バガン):特徴的な長く細い尾。

 

 

ミャンマーで ⑦ エーヤワディー川は変わらぬ姿で、と思う。

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古都マンダレーの西を流れるエーヤワディー川(昔、覚えた名前は”イラワジ川”)

 

若い頃、毎日の通勤で…その3分の2以上の期間、国鉄を利用したけれど、ボックス席の窓下に備えられていた灰皿が消えたのは、いつ頃だったろう?…平塚駅から東海道線に乗り、東京駅丸の内北口を出たあと、右手のガード下に沿う道を、地下鉄東西線大手町駅に向かう…というルートをとっていた。

その北口を出て直ぐのところで、”靴磨きの人”を見かけていた。
急ぎ足で通り過ぎながらも、通勤客の足先が小さな台に預けられ、紐のついた革靴がサッサ、サッサと磨かれる動きを、横目で見ないではいられなかった。
(JRになって、見慣れた風景はほとんど消えていったけれど、あの”靴磨き”の姿は今も見られるのだろうか?)

また、夕刻ともなれば、ガード下の立ち飲み屋さんはささやかな賑わいを見せた。
店前の路上で、仕事帰りの男性たちが小さな高い卓を囲む。
その場所の緩んだ空気感も見過ごせなかった。
(『日本酒だろうか? ワインもあるんだろうか?』などと、やはり横目で見ながら通り過ぎた。)

 

ミャンマーの旅から帰り、ミャンマーで懐かしく感じたものが、ちょっと昔の日本にもあったのだと思った。
そして、ふと思い出したのが、あの”靴磨きの商売”というものだった。
(裸足やサンダル履きがほとんどのミャンマーで、”靴磨きの商売”は見かけなかったけれど、境界を持たない路上や屋外の商売に、しばしば眼を奪われた。)

なぜ、ミャンマーの路上や屋外の商売が新鮮に懐かしく見えてしまうのだろう?
日本の人々は、生活の清潔さ・豊かさ・正しさを手に入れた裏返しに、生身の人間の個々別々の存在・”なりわい”のあり方を、社会の視界から遠ざけ、生き延びさせないようにしてきた…のだろうか?

ミャンマーで普通に眼にする風景と、日本で普通に眼にする風景との違い。その違いはとても大きいように見えた。それでも、これからのミャンマーにおいても、まず都市部から、 日本と同質の(世界の都市部と同質の)風景を獲得していくのかもしれない。

世界で進行してゆく文明の波に洗われ、その経済の影響力に抗えない人間が、土着の生身の人間存在・”なりわい”のあり方を駆逐し、社会は奇妙に同質的な姿へと変化をとげてゆく…その行き着く先の社会の魅力とはどういう魅力なのだろう。
ヤンゴンなどの都市部で、またミンナントゥ村などで見かけた人々の姿から、そんなとりとめないことを思ったりする。

 

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漁をする人(ウーベイン橋から アマラプラ)     立ち漕ぎをする人(インレー湖 ニャウンシェ)

 

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”肉まん”を売る人(タビニュ寺院 バガン)      アーケード街のおもちゃ屋さん
                         (マハムニ・パゴダ マンダレー)        

 

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”タナカ”を塗る人(ダマヤンジー寺院 バガン)    ”タナカ”を塗った男の子(ミンナントゥ村 バガン

 

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祈る僧侶(シュエダゴン・パゴダ ヤンゴン)     老人に托鉢のご飯を分ける若い僧
                          (マハーガンダーヨン僧院 アマラプラ)      

 

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(左)黄金のマハムニ仏を拝する幼い尼僧  (右)得度式の子どもと家族〔マハムニ・パゴダ マンダレー〕:
マハムニ・パゴダの”黄金のマハムニ仏”が座す場所は女人禁制のため、女性はみな、外から拝している。

 

 

 

カタルシスの無い『パラサイト』

 

昨日は温かな陽射しに誘われ、散歩に出た。その帰り道で映画館に寄った。
 (本当は、封切りになった韓国映画『パラサイト』を観るために散歩に出たのだ。)

映画を観終えて、頭がふらつくように感じた。

私におよそ想像できていたのは、描かれる”貧困”のディテールの度合いぐらいだったと思う。
で、貧困なのは私の想像力だった。

物語の展開は、眼を覆うほどに…実際に、暗闇のなかで、思わず両手で眼を覆ってしまったほどに…予定調和的な道筋を避け続け、”キャタストロフィー”へと暴走していった。
(物語の展開に動揺した気持ちに振り回されないよう、あえて映画の虚構性を意識してみる。それには、カタルシス、ディテール、キャタストロフィーといった片仮名言葉で書き記すほうがふさわしいように感じている。果たして、この物語の展開について、韓国での観客の受けとめ方はどうだったのか?と気になりつつ。)

そして、入れ子状(?)のパラサイトの仕掛けが暴かれてから始まる”貧困と貧困の生存闘争”の過激さ、人々のそれぞれが”貧困臭”か”富裕臭”かを自然に漂わせていることを感じ取る長男の繊細さ(現実社会にそうしたものがあると感じるか、を観客は問われる)、自らをパラサイトの最下層に閉塞させて生きるしかない男の絶望、”確かな信仰や倫理なるもの”の不在(”山水景石”を人々の生存欲の象徴として見た時、その”より良い扱い方”へと導くものが”信仰や倫理なるもの”であるとすれば…)が、カタルシスへの道をことごとく塞いでいるのだった。

つまり、観終わっても”息苦しい”。

”長女”はなぜ? ”お父さん”はなぜ? と片付けようがない「?」を抱えて現実空間に戻るしかない。
(田中裕子さんに似た、毒蝮三太夫さんに似た、個性的で親近感のある役者さんの顔が浮かんでくる。不思議なことに、”お母さん”は何からも自由で、葛藤がないように思える。彼女だけが、信仰や倫理からも自由で生存欲のままに生きることが許される存在なのか?…強いということなのか?…。)

エンディングで流れる曲は、どこか、S&Gの「I Am A Rock (アイ・アム・ア・ロック) 」と重なる響きがあった。その響きと乾いた声が、映画の重い空気をふっと薄めてくれるように感じた。

 

 

f:id:vgeruda:20200202112913j:plainミャンマーでの日没 

 

ミャンマーで ⑥ 自由な犬と、もともと自由な猫たち

 

ミャンマーで私が見かけた犬は首輪や鎖から自由だった。
怖いほどに精気にあふれた犬は見かけなかった。
みな、とぼとぼと歩いているか、場所を選ばずに、土ぼこりにまみれて、脱力状態にあるか、寝ているか、していた。
ただ、子犬は誰かと遊びたそうなくらいは元気だった(そうでなくちゃね)。

猫のありさまは日本と変わらない…たぶん。

 

ミャンマーの犬】

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元気に育ちますように(スラマニ寺院で バガン)   颯爽と歩く?(シュエジーゴン・パゴダ バガン

 

ミャンマーの猫たち】

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耳が少し大きい?(ティーローミンロー寺院で バガン) 椅子の下から客におねだりする声が…
                         (エーヤワディー川を眼下にする食堂で バガン) 
 

 

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カメラが厭?(マハーガンダーヨン僧院で アマラプラ) その眼つきは?(旧王宮で マンダレー
    


f:id:vgeruda:20200201101150j:plainひんやりとした大理石の上でまどろむ猫(クトードォ・パゴダで マンダレー