18日、平塚市博物館で「郷土史入門講座:古代の交通と更級日記」を聴いた。
2年前のテーマと重なる今回の講座のなかで、とくに印象に残ったのは、「”箕輪駅家”は、市内の豊田地区【註】にあったのではないか?」との新しい言及があったことだ。
【註】
この豊田地区の東の地域の大字に「豊田打真木(とよだうちまぎ)」があり、『平塚市地名誌事典』(小川治良 2000年)による解説の要点は次の通りだ。
*江戸時代から明治22(1989)年まで:「打真木村」(大住郡下の村名)
*1889年:町村合併により、豊田村の大字「打真木」となる
*1956年:大野町と合併し、「豊田打真木」となる
*地名の由来:「打真木」は「内巻(渋田川の曲流の内側に巻き込まれたような地形)」の替え字、あるいは、「うちまぎ」は「うちまき」の転訛で、「まき」は「牧(牧場)」のことではないか?
今回の新しい言及では、相模国府域で検出された「推定古代東海道駅路」(東中原E遺跡の状況から、道路は国府域内から渋田川を北西方向に渡河して豊田地区に入ることが予想される)の「箕輪駅家」として豊田地区があてられ、その駅馬の飼養地として「豊田打真木」が想定されているようだ(国府域内の「箕輪駅家」の位置として、国府域西部…厚木道遺跡や山王脇遺跡などの地域?…をあてる見方とは別の新しい想定となる)。
また、『更級日記』の「武蔵と相模との中にゐてあすだ河といふ。在五中将のいざこと問はむとよみけるわたりなり。中将の集にはすみだ河とあり。舟にて渡りぬれば、相模の国になりぬ。」のくだりの解釈では、2年前の講演と同じように、
”武蔵国・相模国の国境は近世東海道「保土ヶ谷宿」~「戸塚宿」の中間地点にあたり、柏尾川へと河川が集まる地域で浸水域となる可能性があり、古代には舟でその浸水域を渡ったのではないか?”
という主旨の解釈が示された。
(この想定について、前回の講演では、私自身は『更級日記』の作者が単に記憶を混同した可能性が大きいように感じていた。ただ今回は、国境を舟で渡った…という作者の記憶が仮に正しいとした場合、保土ヶ谷から戸塚まで、東海道沿いの河川を曳舟のような形で通行した可能性もあるのでは?と妄想した。帰宅して地図上で確かめてみると、国境付近の「権太坂」~「境木」まで、帷子川・今井川の川筋をたどれそうだった。ただ、当地に曳舟道であった記録・伝承が残っていないのであれば、その可能性は低い…いつか現地で「境木」までの地形や今井川の姿を確かめてみたいと思う。)
講座が終わった。ほぼ満席だった講堂から人々が帰ってゆく。
外には秋の空、秋の空気が広がっている。
文化公園の石畳の道を歩きながら、古代の東国の交通に大きく係わる『更級日記』について、藤沢市の歴史講座(博物館準備担当)でも詳しく教えていただいたこと、また千葉県市川市の講座で学んだことも思い出した。
秋の石畳の道の先には、復活したカツラの樹の黄葉した姿があった。
見上げたその色は、さっき帰り際に見たばかりの黄水晶の色に似ていた。

★追記★
今、博物館の寄贈品コーナーでは、美しい鉱物が並んでいる。
_____「あなたと博物館」2026年10月号から_________
寄贈品コーナー展示 宮沢賢治と石と星 会期:10/3 ( 土)~12/2 ( 水)
宮沢賢治は現・岩手県花巻市出身の詩人・童話作家です。彼は当時の
天文学や地学に対する造詣が深く、作品中にも天体や岩石・鉱物などが
しばしば登場します。宮沢賢治生誕130 年となる本年、石や星と彼の作
品との関わりについて紹介します。
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(黄水晶:左下の大きな水晶の隣)
また、 24日からは秋期特別展
『名品たちの里帰り~平塚ゆかりの考古資料~』
「帰るか、ひらつか ―― 」
が始まる。
(みんな、ようこそお帰り! 会いたかったよ!)