enonaiehon

私の第三十四夜をつづります。

古い古い財布とコロナ。

 

今日、高田賢三さんの訃報を聞いた。新型コロナウィルスに感染し、パリで亡くなったという。

私でさえその名を知る世界的なファッションデザイナーがコロナによって最期を迎えた…また一つ、2020年の現実世界に漂う”喪失感”が可視化されたように感じた。

これまでのところ、私の小さな狭い日常にコロナの影は片鱗もなく、外出時の彼我のマスク姿だけがコロナの現実を支えている。
かろうじて小さな布に象徴されるコロナの現実感の危うさ。コロナはもしかすると、私が見続けている長い夢のなかの不吉で不条理な作りごとかもしれなかった。

それなのに、なぜか、高田賢三さんの訃報は、2020年の現状が夢・幻ではないことを私に念押ししてきた。誰もがコロナの脅威にさらされている、誰もコロナの脅威をまぬかれない、それは現実なのだと。コロナとはあっけない現実なのだと。

 

 

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私の古い古い財布(たぶん20年以上使い続けている)と、
2~3年前に摺り切れて使えなくなったキーホルダーの残り。
” kenzo ” さんという人が確実にどこかに旅立ったことを、
これからもこの財布を手にするたびに思い起こすと思う。

 

せせこましい人の国だなぁ。

 

 

何だかせせこましい人の国になったなぁ。

 

遥か昔、首相が中曽根さんだった頃、国労を潰しにかかる圧倒的な力に対し、強く反撥する感情とともに、立ち向かう強大な国家権力への恐れも感じていた。私が若く、守るべき生活があったから、ではないと思う。
また、人々にも社会にも真面目な熱量があった。日々、閉塞感・無力感はあっても、光を求めて進んでいる感触があった。闘いつつ、せせこましい人の国だなぁ、と嘆息することはなかったと思う。

 

2020年の今、最高権力者のポストからずり落ちる人も、そこによじ登る人も、私とほぼ同年代だ。彼らへの怖れは後退した(年を取って、恐れに鈍感になった。そして、同年代の権力者の知力と肉体の限界や人間性のせせこましさを感じ取る意地の悪さだけは身についた)。

 

だから、秋の夜空に昇ってきた白々とした月を見ながら、つい思うのだ。

今、何とせせこましい人が、この国を動かすものよなぁ、と。

 

 

10月1日の名月

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”胃痛・頭痛メモ”

 


 

9月も終わってゆく。

9月になって、待ちかねた涼しさにホッとするうちに、胃のあたりが、いつにもましてドロドロ・モヤモヤとぐずつき始めた。
きっと、長かった暑さが胃に応えたのだと思い、手っ取り早く市販薬に頼ることにした。
食事もお粥に切り替える。日に何度も飲んでいたコーヒーもやめてみる(今は亡き義姉に薦められて飲むことになったルイボスティーはそのまま飲み続けた)。

毎日、祈るような気持ちで胃薬を飲むが、なかなか効いてこない。そのうちに、何か月も鳴りを潜めていた頭痛が始まった。胃が悪いというのに、頭痛薬も飲まなくてはならなくなった。

胃と頭の隅っこに何か厭なモノが棲みついた9月。

9月も終わりかけて、ようやく、胃がほぐれるような感じが出てきた。
一方、頭痛薬の効果は一日しか持たないのだった。いくら、頭痛持ちの身でも、長い間、頭痛薬を飲み続けるのは、どうにも疚しい。

薬に頼らずに何とかしなくては…と、今回の頭痛の原因をいろいろ考えてみる。
これまでの頭痛は、目まぐるしい都会に出かけ、美術館などの密閉空間で神経を集中したり、気圧変化の大きい飛行機に乗ったり、あるいは周囲の香料などの強い匂いなどでひどくなることが多かった。
しかし、コロナ禍の今はずっと家の中で気ままに過ごしている。
ではなぜ? 
季節の変わり目だから?
涼しくなって体を冷やしたから?(いつも頭痛とほぼ同時に起きる首・肩の凝りに対処しようと、消炎薬やカイロを貼ったりもしたけれど、目ぼしい効果は無かった。)

そして、いろいろ考えあぐねた末に、ずっと怪しんできた出来事にたどり着いた。
それは、かつて一人旅のさなか、いつものひどい頭痛と疲労感が、自動販売機の栄養ドリンクを飲み干した瞬間、なぜか嘘のように雲散霧消してしまった…という体験。

その”奇跡的?な体験”がずっとひっかかっていたのだ。
で、今回、もしかすると、コーヒーをやめたことが頭痛の原因では?と思った。今回の頭痛の正体は、カフェイン断ちのせいもあるのではないかと。

で、今朝、何週間かぶりに、豆乳にコーヒーを混ぜて飲んでみたのだ。

するとどうだろう…重ぐるしい痛みの気配が薄らいでいった。頭痛薬とほぼ同じ鎮痛効果があるようだ。果たして、私の身体は知らないうちに、カフェイン中毒に陥っていたのだろうか? そして、このコーヒー解禁の効き目はどれだけ続くだろうか?(午後になっても、十分に効いているけれど。)

胃痛と頭痛の9月だった…ウロウロしている間に足早に季節が移ってゆく。やれやれ。

 

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月と人魚姫(9月21日)

 

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月と人魚姫(9月27日) 

            

           

唐突な葉書を出して。

 

3月からの巣ごもり暮らしのなかで、何通かの葉書を書いた。

遠くに住む人、近くに住みながら久しく会えない人の姿が、停滞した時間の波間に時折り浮かび上がった。その人にあてて、絵葉書の裏の半分のスペースに懐かしい気持ちを短く綴った。

昨日も、近くに暮らす人にあてて、唐突な内容の絵葉書を書いた。
唐突な内容の中身は、『アンという名の少女(Anne with an "E")』という海外ドラマを観始めた…というもの。

その人と私は、地元の同じ小・中学校、高校に通った。その後、海外や東京暮らしが長かったその人は、数年前に平塚に戻ってきた。
お互いに、子どもの頃のごくわずかな思い出を共有しているだけなのに、私にとってその人は、唯一無二の特別な存在になった(子どもの頃に使っていた言葉で言えば、”崇拝”の対象に近かった)。その人の何をも理解しているわけではないのに。

『お互いに70歳に手が届く年代になって、中学生だったあの頃とは様変わりした今、こんな葉書に当惑するかも…』とためらいもあった。それでも、昔の気持ちのままに思い切ってポストの中に滑り込ませた。

 

出してしまった唐突な葉書は、今頃、どう伝わっているのだろう? 
受け取ったのが私だったら返事に困りそうなので、「読み捨てて」と最後に書いたのに、まだちょっとどぎまぎしている。
今度、街角で逢えたら、私の唐突な葉書について、マスク越しに短いおしゃべりをしたい。きっと笑ってくれるだろうな。

 

9月23日の海f:id:vgeruda:20200924113824j:plain


夕波を横切る人f:id:vgeruda:20200924113838j:plain

 

沖合を進む幻のような客船f:id:vgeruda:20200924113905j:plain

 

「なんて素敵なプレゼント!」

 

コロナ禍という檻のなかで、思わず目が輝くような素敵なことに遭遇する機会はとても少ない。

でも、今朝、思わず目が躍った。
スタジオジブリの作品の場面写真で、「常識の範囲で」自由に使えるものが公開されたのだ。

飛びつくような気持ちで、私を誘惑するいくつかの場面写真…水や水面が美しく描かれている場面…をPCにダウンロードした。

(『ジブリさん、ありがとう。綺麗な水の場面の絵を「enonaiehon」に迎えることができました。』)

 

 

~『千と千尋の神隠し』から~

 

透き通った水の中にレールが沈んでいる風景…、かつてどこかで、これと同じ世界に迷い込んだ記憶がある。だから、この水の表現に心が吸い込まれてしまう。なんて美しい世界。

(今回、”カオナシ”の喉元にカエルが透けて見えることに、初めて気がつく…。”カオナシ”は不気味で切なくて哲学的な存在だ。)

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生命は透過されない?

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この電車に乗って、どこまでも果てしない透き通った水面を滑っていきたい。
でも、この場面を思い出せない…。

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~『思い出のマーニー』から~

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9月半ば…雲間の向こうの光。

 

年老いて、いつのまにか澄んだ瞳、輝く瞳、まっすぐな気持ちを見失った今だからこそなのか、いつのまにか光を失った国の現実の姿を日々、まざまざと目の前に突きつけられて気が滅入ってくる。


今こそ、明るい瞳、未来や世界が広がってゆくような瞳を持つ人に、国の政治を託したいと思うのだ。
今こそ、自己実現のためではなく、広く人々のために公正に権力を用いることができる人、”実”のある言葉で分け隔てなく人々を得心させ、励ますことができる人、ごまかさずに、失敗したら潔く責任を取ることができる人、そういう人に国の政治を託したいと思うのだ。

 

その人に、聖人君子の人格、超人的な能力を求めているわけではない。
自分のビジョンを私たちに率直に語りかける人…そういう政治家が思い描いている”国の姿”というものをちゃんと見て確かめたい、ちゃんと理解してみたいだけだ。

 

希望をもって安心して生きてゆける”国の姿”を人々と共に思い描き、追い求めてゆく人はどこに?

共に思い描き、追い求めてゆくことを問われているのは、人々自身だ。

今は行く手に大きな雲が広がっている。
その雲間の向こうにきっと、希望の光を育ててゆく人々がいる。
今だからこそ、その未来を信じる2020年9月15日。

 

〔今、衰えてゆく夏〕

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新しい季節は?

f:id:vgeruda:20200909115802j:plain平塚海岸から見る9月8日の夕焼け

 

 

どこかで期待していた。
政治の季節が新しく移り変わる気配を。

現実には、ほとほとうんざりの残暑が終わりそうもないのだった。
(鬱陶しく居座り続ける気圧配置が恨めしい。)

 

野分の季節。

台風一過。

抜けるような青空。

新しい季節を知らせる風。

いつ吹き始めるだろうか。

新しい季節を呼び込む新しい気圧配置図を早く見たい。