enonaiehon

私の第三十四夜をつづります。

「まあ いいか」を読んで。

 

夕方になって街に出ると、駅前で2020年豪雨災害」の救援募金が行われていた。

2011年の大地震と大津波の生々しい記憶も消えないなかで、この数年、大雨や台風などによる圧倒的な破壊が容赦なく繰り返されている。そのたびに人々は打ちのめされ、打ちひしがれる。そして、そのたびに人々は何度でも力をふりしぼって立ち上がらなくてはならないのだ。

そこに加えて、今年はコロナ禍が重なっている。被災地の人々はマスクも消毒もままならないどころか、日常そのものを奪われ、悲しみや不安と疲労のさなかにあるのだ。
報道番組で、家族とともに泥出しを手伝う少年の小さな体、その汚れた手足を眼にする。自分にできることを黙々と果たす子どもの姿は頼もしく、切ないものだった。
それにひきかえて、我が身にかまけているだけの自分の姿が否応なく見えてくる。いつものように、”あるべき姿の自分”と”情けない姿の現実の自分”との撞着で落ち着かない気分になってゆく。

そんな時、夕刊のコラムを読んで、少し気持ちが落ち着く。
その大竹しのぶさんの連載エッセイ「まあ いいか」には、いつもぬくもりを感じて励まされてきた。そして今回も、愚図ついた気持ちはそのままに、「
まあ いいかな…?」と思えてきたのだ。

果たして、とりあえず「まあ いいか」とやり過ごす。そうしてしまっていいものかどうかわからない。

きっと、この先も何度も繰り返す「まあ いいか」。それに救われ続けていいものかどうかわからない。

それでも、まずは、自分にもできること、それをしようと思う。

 

梅雨の晴れ間の空(7月9日)

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梅雨の晴れ間の赤い実

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「かやり火も ふせげと思ふを こぞの夏 煙のなかに たちぞさりにし」②

【248・349・453の3首】

『相模集全釈』(風間書房 1991)から_____________________


~中夏~
248  したにのみ くゆる我が身は かやり火の 煙ばかりを こととやは見し

(悶々とするばかりで、心がふさいで晴れない我が身は、蚊遣火のくすぶる煙だけを関係のないものと思っていたでしょうか。私と同じに思われました。)


~中夏~
349  したにのみ くゆる思ひは かやり火の 煙をよそに 思はざらなむ

(心の中の悩みを、ひそかに悔いる思いは、くすぶる蚊遣火の煙を無縁のものと思わないでほしい。両者は同じ「くゆる火」なのだから。)


~六月~
453  かやり火も ふせげと思ふを こぞの夏 煙のなかに たちぞさりにし

(私の胸のうちにくすぶる恋の火も、夫の愛情によって防いでほしいと思うのに、それどころか去年の夏、あの人は立ちのぼる蚊遣火の煙とともに、私のもとから立ち去ってしまったのですよ。)
_______________________________________
走湯権現奉納百首及びその贈答歌」(222~524:欠首・重複あり。序歌3首・跋歌2首を含む)は、
a:歌人相模の奉納歌(222~319)
b:権現(僧)からの返し(321~421)
c:歌人相模の更なる奉納歌(425~523)
の三つの歌群から成り立つ。
また、それぞれが、20部立て・各5首(計100首)という共通形式で統一され(欠首・重複あり)、a(正月に奉納)→b(その年の4月15日に返しが届く)→c(翌年の夏の帰京前に再び奉納)という時間軸のなかでまとめられている。

つまり、a・b・Cの歌群が、”時間の流れ”として連なると同時に、各100首のそれぞれも、個別にa ⇔ b ⇔ cという”贈答歌の流れ”として連なることになる。
そして、その”贈答歌の流れ”には、起(a) ⇔ 承(b) ⇔ 転(c)という有機的な捻りが加わるとともに、bの歌群の作者を走湯権現(僧)と位置づけることで、聖俗集合?の物語世界を織りなすような様相を見せる。
こうした個人歌集の枠を超えるような構成のなかで、248・349・453の3首は、それぞれ「248(1024年正月まで)」→「349(1024年4月15日まで)」→「453(1025年夏の帰京前まで)」の”時間の流れ”と、「248 ⇔ 349 ⇔ 453」の”贈答歌の流れ”に沿うものであり、「起(248) ⇔ 承(349) ⇔ 転(453)」の捻りを加えながら有機的に結びつき、一体化している。
このような「走湯権現奉納百首及びその贈答歌」の特異な世界が織りなされた場所が、1020年代の東国の片隅(平塚?)であったのかと思うと、一千年後の平塚で暮らす市民として少し複雑な気持ちになる。
相模国府とは、歌人相模にとってどのような場所であったのだろうか? 歌人相模は、その晩年、相模国府で過ごした4年間について、ほろ苦くも懐かしく思い出してくれただろうか?)

 

 以上のような復習をしながら、
「453 かやり火も ふせげと思ふを こぞの夏 煙のなかに たちぞさりにし」
の歌で、今回改めて気になったのが、下の句「こぞの夏 煙のなかに たちぞさりにし」だった。
これら一連の言葉に引っ掛かりを感じた末にたどり着いた妄想的結論を示すと、次のようなものになる。

 

「たちぞさりにし」の語に、「館(たち)ぞ去りにし」の意味が含まれるのではないか?

 もし、このような”掛詞”的な想定が許されるならば、

「火」・「煙」についても、「(館の)火災」**のイメージを重ねているように感じられる。
(ただし、「火」・「煙」の語に、作者の個人的体験としての「(館の)火災」のイメージを重ねることは、あまりにも作者の個人的背景に踏み込んだうがった読み方なのかもしれない。”国司館火災”の時期・事情を前提としなければ、読み取りようがない解釈なのだから…。)

(以上の言い訳をふまえた解釈として)453の歌意は、
「私の胸のうちにくすぶる恋の火も、館の火災も、防いでほしいと思うのに、それどころか去年の夏、あの人は立ちのぼる蚊遣火の煙と、立ちのぼる館の火災の煙とともに、私のもとから立ち去ってしまったのですよ。」となる。

さらには、「館国司館と想定)」の火災の時期は「去年の夏」に限定されることになる。


**
相模国国司の火災については、これまでもあれこれと思い巡らしてきた。
(enonaiehon 2013-09-05 【相模集-由無言5 「さてそのとし館の焼けにしかば」と「焼け野の野べのつぼすみれ」】など。

 

ここで改めて、「走湯権現奉納百首及びその贈答歌」の中で記された次の詞書(歌群bとcの間に位置する)を掲げてみる。

 

『相模集全釈』(風間書房 1991)から_____________________

さて その年 館(たち)の焼けにしかば、「かかる事の さうし〔註:冊子〕して、必ずかかる事なむある。穢らはしきほどにおのづから」と人の言ひしかば、あやしく本意(ほい)なくて、上(のぼ)るべきほど近くなりて例の僧にやりし。これよりも序のやうなることあれど、さかしう にくければ書かず。
______________________________________

この詞書は、「館国司館と想定)」の火災が起きたのは、「その年」(歌群bとcの間の詞書ということから、1024年4月後半~1024年末までと想定)であることを示している。
そして、453の歌の下の句について、「去年の夏(館の火災の)煙のなかに 館ぞ去りにし」と解釈するのであれば、国司館の火災時期を「1024年の夏」と特定できることになる。

それにしても、453の「かやり火」の歌において、歌人相模は、なぜ「夏」を具体的に「こぞの夏」と限定したのだろうか? 453の歌について、研究者が「歌意に判然としないところもある」とする理由も、その下の句の唐突さにあるのではないか?

今回、その答えとして私が思いついたのは、詞書にも記された”国司館火災”という、作者にとって忘れがたい出来事だった。

私は、歌人相模が、248・349の歌詞(「くゆる我が身」・「くゆる思ひ」・「かやり火」・「煙」)に通底する恋心…単なる仮想なのか、現実に定頼などを想定しているのかは不明…の流れから大きく転じて、”夫・公資への恨みや嫉妬心”をくすぶらせるかのような下の句を詠んだ背景として、349の権現(僧)からの返歌に対する反発だけでなく、”去年の夏”に起きた”国司館火災”に際しての夫・公資の冷たい振る舞いの記憶が、思わず甦ったためではないだろうか?と想像している。
(夫・公資が赴任先の相模国で愛人をなし、妻・相模をないがしろにしている様子が、230・433の歌***からもうかがえる。大江公資は、1024年夏の国司館火災をきっかけに、完全に妻・相模のもとを離れて、愛人宅を遍歴する生活を始めたのではないだろうか?)

 

***
233 若草を こめてしめたる 春の野に 我よりほかの すみれ摘ますな
433 もえまさる 焼け野の野べの つぼすみれ 摘む人絶えず ありとこそ聞け 

 

以上、「館(たち)」という語句についてのこだわりが再燃し、新たな妄想を巡らすこととなった。
そんな妄想でも、相模国下向後の歌人相模の満たされぬ思い・嘆き、願いごとを歌群として成立・昇華させた「走湯権現奉納百首及びその贈答歌」には、まだまだ妄想をふくらませる余地が残されていることが分かった。
虚しく過ぎるコロナ禍と長雨の時間も、物想う(妄想)時間に変えて、しのいでゆくことができれば嬉しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「かやり火も ふせげと思ふを こぞの夏 煙のなかに たちぞさりにし」①

コロナ禍と長雨が続く徒然なる日々。

遠のいていた歌人相模の世界をふと思い出し、本当に久しぶりに『相模集』を開いた。
この数日のじっとりと湿った気分が、一千年前に”朽たし果てつる”と歌った歌人相模の言葉と、ぴったり重なるように感じたからだった。

 

『相模集全釈』(風間書房 1991)から_______________

軒の玉水かず知らぬまでつれづれなるに、「いみじきわざかな、石田(いした)のかたにも
すべきわざのあるに」とおのが心々に、しづのをの言ふかひなき声にあつかふも耳とまりて

78 雨により 石田のわせも 刈りほさで くたしはてつる 頃の袖かも

__________________________________

 

この歌は、「石田(いしだ)」という地名にこだわりを持ち続けている私にとって、ずっと特別な存在のままとなっている。
eonaiehon 2016-02-21 【『相模集』のなかの「堅田(かただ)」と「石田(いしだ)」のこと】など、こだわりの強さとは裏腹に、その後、何の進展もないままだけれど。)

 

そして、『コロナ禍と長雨で、我が身も”朽たし果てつる”ことだなぁ…』と、この78の歌などをしみじみ眺めるうちに、旧暦六月に歌われた別の歌が目に留まった。

453 かやり火も ふせげと思ふを こぞの夏 煙のなかに たちぞさりにし

一読しても、歌の背景が分からないのが気になった。
『相模集全釈』の解説文にも、「犬養廉氏も、歌意に判然としないところもあるとしながら、公資が相模のもとを去って行ったことを訴える歌としておられる。」とあった。

『そうなのか…判然としないのか…』と思った。
この453の歌は、「走湯権現奉納百首及びその贈答歌」として、248と349の歌を経て、一連の歌として作られたものだ。
それならば、それら一連の3首を読み直してみようと思った(実に”朽たし果てつる”ほどに徒然な日々から、少しでも抜け出したいのだった)。

旧暦であれば六月であったと思われる日の夕月(平塚海岸で)

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いまだに宙ぶらりんの日々。

 

梅雨らしい蒸し暑さが戻った今朝、真夜中に着信していたメルマガを読む。
そのメルマガの執筆者は今、ツイッターという言論の場から締め出されている。それでも、メルマガでの彼は健在であるように感じた。

今回、選ばれた題材はアレクサンドリア・オカシオ=コルテスだった。
そして切り取られたのは、2020年のアメリカ合衆国下院議員選挙での彼女の闘い方だ。

読み書きできるのは日本語だけの私にとって、このメルマガが時々伝えてくれるアメリカ合衆国についての独特の情報は、読んでいて楽しいものの一つだ。
(もう一つ、ネット上で読み続けているのは、白井青子さんの『ウィスコンシン渾身日記』。こんなふうに日本以外の国で暮らしてみたかったなと、ちょっとうらやましく感じながら読んでいる。)

アレクサンドリア・オカシオ=コルテスを題材にした今回のメルマガの結論は、”闘う相手には直角に当たることが重要だ”というものだった(これは、執筆者のこれまでの主張に沿ったものだ)。

読み終わって、遥か遠いアメリカから、眼の前の日本の現実へと意識が戻る。

宙ぶらりんの暮らしが続くなか、7月の東京都知事選挙も、「神のみぞ知る」衆議院解散・総選挙も、”闘う相手”は見えながら、”闘い方”は見えてこないのがもどかしい。

 

いまだに私のカレンダーは白紙のまま、日々の外出も半径2㎞以内のまま。
分かっているのは、私が今”直角に当たるべき相手”は、”自分そのもの”ということ。
そして、その”直角の当たり方”とはどのようなものか、やはり分からないのだった。
悩ましい宙ぶらりんの日々を繰り返している。

 

f:id:vgeruda:20200626135130j:plain 海とハマユウ

 

f:id:vgeruda:20200626135203j:plainバッテン印の花(ヒルザキツキミソウ

10年後 … ?

 

21日 … 夏至の日の夕方、家族は部分日食を見に、海へと出かけていった。

一緒に行きそびれた私は、少し後悔することになった。
あとから街に出てみると、梅雨らしい薄曇りの空も外気も、それは心地よかったから。
『買い物など後回しにして、海に行けばよかった…』
しばらくすると、携帯が鳴った。

「日食、撮れたよ。ちょうど雲が途切れて…」

夜になって、各地の日食のようすを伝えるニュースが流れた。
どうも、次に日食を眼にする機会は10年後…ということらしい。

『10年後 … ?』

10年後 … 確かなことは、現在のコロナ禍が、”はるか10年前の出来事”になっていること。
その頃には、現在の中央政権も、東京や大阪といった地方政権も、はたまた、世界の首脳陣の顔ぶれも一新されていること(ロシアについてはいざ知らず)。

10年後 … 残念なことに、何よりも自分たちについては、確かなことは何も分からないのだった。  

『10年後 … ?』

私たちは、どこで、何を観て、何を聴いて、何を感じているのだろう…。

 

 

部分日食(2020年年6月21日16:54、家族が撮影した写真から)

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f:id:vgeruda:20200622150627j:plain  六月の浜辺で①(ハマユウ) 

 

f:id:vgeruda:20200622150706j:plain 六月の浜辺で②

 

 

 

 

梅雨空の花たち。

 

コロナ禍の日々は、心を少しずつ貧しくしているように感じる。
摂り込む情報が偏り、心が干からびてゆくのを感じる。

心の淀みに浮かぶ”うたかた”は、宰相の口元にとり憑く式神のような白い小さなガーゼマスクであったり、首振り扇風機のように虚ろな運動を繰り返す宰相の会見姿であったり…。

節目ごとに摂り込む滑稽で矮小なイメージが、かつ消えかつ結ぶ毎日…。

もともと偏食気味だった狭苦しい心は、呑み込んだ”うたかた”を、日々反芻する。その”うたかた”のサブリミナル効果に満ちた暗示によって、日々心が澱んでゆく。

知らず知らずのうちに、どこまでもスポイルされ続ける。いよいよ貧しく干からびてゆく。

こうして、いつも特別な季節であったはずの六月が、コロナ禍で失調した心を置き去りに、通り過ぎてゆく。

どこかで、こんな流れを切り替えなければ、と思う。

そんな6月18日。
私に、遠い南の国の濃密な空気を思い起こさせる花たち…その色を、形を、香りを、ひととき思い出す。自分の時間の流れを取り戻す。

 

f:id:vgeruda:20200619094852j:plain六月の花①

 

f:id:vgeruda:20200619094910j:plain六月の花②

 

f:id:vgeruda:20200619094929j:plain六月の花③

”熱伝導”者の汗。

 

梅雨らしい日が続き、南口の公園のバラの花色はすがれてゆくばかりになった。
コロナ禍の日々、夕方の買い物の行き帰りに人魚姫の公園に立ち寄っては、そのほのかな草いきれに満ちた小さな自然空間にずいぶんと慰められた。

今日は朝から部屋が明るかった。室温は28度を超えた。

そんな梅雨の晴れ間、山本太郎氏の都知事選立候補表明をネットで視聴する。
久しぶりに聴く彼の言葉だった。独特の身振り手振りも変わっていなかった。
その首もとを包むシャツ襟に汗がにじんでいた。彼の内部にたわめられていた熱量が行き場を求めているのだと思った。

すでに熱量がすがれた私にも、自分の熱量をストレートに伝えることができる、不思議な”熱伝導”者の汗なのだと思った。

 

夕方、暑さを覚悟して外に出る。少なくとも汗がにじみそうな暑さではなかった。

南口の公園は、青い花と小さな白い花が残るだけになっていた。バラたちの季節が去ったのだ。
で、あの山本太郎氏の季節は巡ってくるのだろうか? 
それとも、今までに経験したことのない季節を夢見るだけで終わるだろうか?

 

 

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6月15日のバラ(駅北口で)