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私の第三十四夜をつづります。

2016-01-01から1年間の記事一覧

2016.12.31

一年の最後の日。 海に近い次兄の家に寄った帰り、そのまま海に出た。 いつも訪れる東の浜辺より、浜が削られている。切り立った崖のような高い砂丘。 まず見えるのは青い海だけ。いつもの海が何だかシュールだ。 次に、波打ち際で遊ぶ人が眼に入る。 いいな…

伊豆山神社の「男神立像」と『走湯山縁起』の”権現像”③

『走湯山縁起』(巻第一~五)のなかの”権現像”を求めて、①~⑤(巻第一~二)の記事をたどってきた。 そして今、巻第三の記事をたどたどしく拾い読みしながら、”権現像”のイメージは、巻第三の成立までに、すでにある程度、図像化・可視化されていたのではな…

2016.12.27

夜来の強い南風で温かい日。 ベランダに出ると、とても12月27日の空気とは思えなかった。 午後になって、慌てて博物館のプラネタリウム・コンサートに出かける。 開演時間まで時間がなかった。 信号ごとに走り抜ける。 古い博物館のプラネタリウムまでは階段…

伊豆山神社「男神立像」と『走湯山縁起』の”権現像”②

先に挙げた『走湯山縁起』の①の記事(応神朝)では「円鏡」が出現し、②(仁徳朝)では「神霊附託」により「老巫」を通して「異域神人」・「日輪の精体」であることが語られた。 そして、続く③の記事(仁徳朝)では「老巫」が俗体に形を変え、次のように可視…

イチロー選手の言葉

「自分のなかで・・・ちょっとだけがんばってみる」 ニュースの画面から聞こえてきた短い言葉。 厳格な修道者の如く想像していた人の言葉。 ドキッとした。 『そうだったのか・・・』と。 励まされた。 野球のことは全然わからないのだけれど。 ちょっとだけ…

伊豆山神社「男神立像」と『走湯山縁起』の”権現像”①

『走湯山縁起』(巻第一~五)のなかで”権現像”の顕現と係わる記述部分を断片的に抜粋して①~②~…と羅列し、鷲塚泰光氏の論考(「伊豆山神社木造男神立像考」)の跡を少しずつたどってみる。 ______________________________…

伊豆山神社「男神立像」と”御衣木(みそぎ)”①

伊豆山神社「男神立像」の謎をめぐって、あれやこれやと妄想がふくらんでゆく。 自分で謎を作り出し、その謎について考えるなかで、喜んだり、がっかりしたり。 毎回、同じことを繰り返して飽きない。 自己完結的で、自家中毒的で…要するに暇つぶしの”癖(へ…

伊豆山神社「男神立像」の顔

~伊豆山神社「男神立像」の顔~ 伊豆山神社「男神立像」に魅きつけられてから、さまざまな疑問が散漫的に広がっていくばかりだ。 先に挙げた「履物」の爪先の形などよりも、ずっと基本的な疑問が立ちはだかっている。 *何の像で、何を祈るための像か? *…

伊豆山神社「男神立像」の履物

2012年7月、2016年2月と、伊豆山神社の「男神立像」を間近に見ては、歌人相模との係わりについて妄想を巡らしてきた。 そして、研究者の方々の知見に接することよって、自分の無知と勘違いに気づかされてきた。それでもなお、この「男神立像」に対する興味は…

今年最後の満月

鶴見の講座から帰ると、横丁の空に満月が輝いていた。 地球のそばに月が居ること。 ずっとずっと地球のそばに居ること。 いつも思う。 この世界に月が居なかったらどんなにさびしいだろうと。 「やぁ、今晩は!」 冬の夜、寒くても日暮れてもさびしくないの…

2016.12.12

12月初旬。 ”江分利満氏”のように現役ではなく、老尼のような暮らしとなった”江分利散泥”の私でも、やむを得ずあきらめる予定が出てしまう。一年最後の季節がみるみる走り去ってゆく。 11日午後、休日の人出でにぎわう上野から、葛飾のコンサートホールに向…

櫟野寺の菩薩像たち

11日、上野に出かけた。 甲賀市の櫟野寺に伝わる仏像の展覧会をずっと楽しみにしながら、ようやく最終日に会場を訪ねることができた(1月初めまで会期延長となったので、上京の機会があれば再訪も可能のようだ)。 会場は暗く心地よい。一室のみの閉じられた…

2016.12.10

9日、大磯町生沢の観音寺に向かった。 途中には、12世紀の不動明王像の足跡を訪ねて歩き回ったなつかしい下吉沢。 今日はバスの窓から眺めるだけだ。バスは市を越えて大磯町に入る。 平安時代の薬師如来坐像を伝える寺坂の王福寺の前も過ぎた。 バスを降りて…

励まされること

12月、晴れて(?)「高齢者」世代に仲間入りした。 友人から、愛らしいカードが届いた。 その愛らしさは、私にはひどく似つかわしくないけれど、『赤毛のアン』に夢中になっていた頃の自分を思い出させてくれた。 ありがとう。貴女からのメッセージをここに…

伊勢原市西富岡・向畑遺跡出土の緑釉陶器

3日、伊勢原市の日向薬師からの帰り道、西富岡・向畑遺跡の見学会に参加した。 第二東名建設に伴う調査もすでに10年に及ぶことになる。巨大な力が地上と地下の景観や歴史を押し潰してゆく。 その一方で、地下に堆積して眼に見えなかった歴史が掘り起こされ、…

大改修を終えた日向薬師:宝城坊本堂

3日、まだ秋の華やかさを残す日向薬師を訪ねた。 伊勢原駅でバスを乗り継ぐ。しかし、帰りは駅まで歩いてみた。12月初めの陽射しのぬくもりを楽しむことができた。 (日向薬師という寺は、できるならば駅からの長く緩やかな道を徒歩でたどるのが良いと思う。…

2016.12.3

季節は冬に移ったはずだった。 でも、それは私が行動している半径2~3㎞の範囲のなかだけだったのかもしれない。 今日、大山の青い姿、富士の白い姿をバスの窓から眺めながら伊勢原に向かった。 目的地は、6年間に及ぶ大改修を経て、ようやく2週間前に落慶法…

緑釉陶器の花文①

2015年夏、博物館で「みどり色の器展」を見学したその時、まだ報告されていない新しい資料も何点か展示されていた。繊細で珍しい文様をもつもの、輝くほどに美しい「みどり色」のものがあって、なぜか胸が騒いだ。 さまざまな考古基礎資料集成の一環として、…

2016.11.24

東京は初雪。平塚はみぞれ。立冬から二週間余り…季節がはっきりと移ってしまった。 昼を過ぎて、みぞれが細かな雨となった。 急に海の景色が見たくなった。手袋をして外に出る。 大通りで出逢った人は、二人とも美しい傘をさしていた。 どちらも、少しだけ風…

2016.11.22

朝、そろそろ起きようと思っていた時に部屋がガタガタと鳴った。 揺れがおさまってから起きる。地震速報を聞く。 思い出すイメージ…鹿男あをによし。 頭をよぎる心配…津波・原発事故。 大地が私たちの不意を突く。貴方たちは地底の呪縛からまだ解放されては…

2016.11.20

19日、雨が上がりはじめた頃、鎌倉に出かけた。 向かった長谷寺は、雨模様の空にもかかわらず、拝観者でにぎわっていた。 こじんまりとした観音ミュージアムで『長谷寺縁起絵巻』を見る。 大和長谷寺とのゆかり、そして鶴見での講座のテーマの一つ「長谷観音…

読書に向いた場所

16日、鶴見での講座に出席する前に、横浜駅近くの眼科に寄った。 数年ぶりに訪れ、その混雑具合に驚く。待合室からあふれた人々は、ビルのエレベータ前や通路にまで並べられたスツールに所狭しと座っている。 長い待ち時間を覚悟した。電車の中で読んでいた…

2016.11.14

ベランダの真ん前に、野性味のある…人と没交渉の…柿の木が立っている。 周辺の緑が次々に消えてゆくなかで、何気ない姿で季節の移り変わりを教えてくれる。 ビルの間で生き延びている柿の木に、野鳥だけが時々遊びに(?)やってくる。 けれども今年は実が少…

台地上の掘立柱建物(西方遺跡第3次調査)

12日、茅ヶ崎市下寺尾の現地説明会に参加した。 あたたかな陽射しの中、香川駅から現地まで歩く。道沿いには、新たにコンビニ店やドラッグストアが開店している。 約20年前、初めてその道をたどった時は、荒涼とした風景が印象に残った。大規模な開発の前段…

2016.11.10

秋というより、冬晴れの9日、 鶴見での講座の前に桜木町に向かった。 弁天橋を渡る。 波の群青色と澄んだ空の青色がまぶしく目に飛び込んでくる。 吹き抜ける風は肩も首もすくめるほどに寒い。 港街らしい建物を眺めながら大通りを進む。 見覚えのある店のた…

2016.11.7

図書館近くのイチョウもケヤキも、日に日に葉の色を変えてゆくようだ。 秋の果実…友人からフィジャーの実をいただいた。 不思議な緑色の果実。 青い林檎や青い蜜柑とも違って、この果実はありのままの”緑色”。 そして、”青いパパイヤ”のように、”青いフィジ…

2016.11.4

年を取った…そう思うことが多くなった。 平凡な感慨だと思う。 電話の中で姪は小さく笑った。 「誰も電話に出なかったので、ちょっと心配した」と言って。 そして「できれば携帯の電話番号を教えておいて」と言う。 私たちはそんなふうに姪に気を使ってもら…

2016.11.1

10月が終わってしまった。 夏の暑さと闘い疲れ、ようやくの休息の季節が巡ってきたばかりというのに。 街の木々も衣替えを始めている。 買い物の行き帰り、神社の森や夕空を眼にするたび、季節が通り過ぎてゆく早さを思う。 10月の王ヶ頭の宿で、これから眠…

古い写真

押入れの奥から見慣れない真四角のアルバムが出てきた。 開くと、学生時代から入社間もない頃までの写真が、断片的に脈絡なく、つまりランダムに貼られている。 白い縁のある紙焼きは一様に色褪せ、写っている人たちの笑顔だけが若く輝いている。 貼られた写…

まつろふ・まつろはぬ

何だろう…ざわざわと心を乱す映像が、くりかえし、意識のモニターによみがえる。 そこに映る表情も言葉も、切り取られたことで、その意味が増幅・拡大されてゆく。 そこに映る生身の個人の一瞬の表情と言葉は、その立場ゆえに、意味合いが一層ゆがんで醜くな…