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私の第三十四夜をつづります。

伊豆山神社「男神立像」の顔

伊豆山神社男神立像」の顔~

 伊豆山神社男神立像」に魅きつけられてから、さまざまな疑問が散漫的に広がっていくばかりだ。
 先に挙げた「履物」の爪先の形などよりも、ずっと基本的な疑問が立ちはだかっている。
 *何の像で、何を祈るための像か?
 *誰が、いつ造立したか?(造立の契機は何か?)
 *1020年代、歌人相模は、この伊豆山神社男神立像」を拝したか? 
  (歌人相模は、この伊豆山神社男神立像」に向けて和歌を詠んだのか?)
 *造像の材として、なぜサクラ属の材を用いたのか?
  (従来はカツラ材とされ、また「霊木・神木」を用いたとされている)
 *「最も肝腎な面相部」は、なぜ「別材矧ぎ」なのか?
  (鷲塚泰光氏の「伊豆山神社木造男神立像考」のなかで、私が強く惹かれた部分は、伊豆山神社男神立像」の表情を分析した箇所であり、もっとも謎を感じる点だ。氏は「最も肝腎な面相部」が「別材矧ぎ」である理由について、木芯の朽損を補うために「面相から頭頂に至るまで当木が行われている」京都・教王護国寺の女神像2体の例を挙げられている。)、
 *作者は誰で、制作地はどこか?
 *なぜ写実的な容貌表現なのか?

 素人の私にとって、考えるに及ばずの疑問ばかりではあるけれど、容貌の表現について、現時点で思い巡らしていることは次のようなことだ。
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 伊豆山神社男神立像」は個性的な風貌、不可思議な表情を持つ。
 その類型的な神像とは言えない強い個性のあり方をどう表現すればよいのだろう、といつも思う。
 俗体・僧形の神像…と理解されている像…のなかで、個人を写実的に表現しているのでは?と思えるような作例の場合、実在した特定の個人をモデルとした可能性はあるのだろうか。それがもしあり得るならば、伊豆山神社男神立像」が強く個性的であることも、素直に納得できるのだと思う。
 しかし、像高212.2㎝の威容を誇る神像(であるとして)の容貌を類型的にではなく、敢えて肖像のように表現した理由は?と思う。その意味、意図が知りたいのだ。

 その意図を知ることは無理として、自分なりに研究者の方の論考(鷲塚泰光氏の「伊豆山神社木造男神立像考」)の跡を辿ってみた。その試行錯誤の結果、次のような危うい妄想が生まれた。

伊豆山神社男神立像」の頭部前面(面相部)が当初から別材であるのは、「もと植毛されていた眉と髭鬚」を持つという特色から、そもそも容貌の写実的表現(肖像表現)を優先するという理由があったのではないだろうか?
 そして、頭部後面~体幹部の制作には実際のモデルを特には必要としなかったので、頭部前面(面相部)は一木造とは別工程で制作可能となり、実際のモデルを前?にしながら、存分に写実性を追求することができたのではないだろうか?
 すなわち、鷲塚泰光氏が、伊豆山神社男神立像」と似通う表情として例示している「京都・教王護国寺旧蔵(現在京都国立博物館保管)の十二天面の火天や風天面」の作者と同じような技術…面に植毛(貼毛)する技術など…を兼ね備えた人が、伊豆山神社男神立像」の頭部前面(面相部)の作者として選ばれたのではないだろうか?

 ◇次の拙いトレース図を描きながら、伊豆山神社男神立像」が、確かに”十二天面の火天や風天面”(10世紀)と共通する表情を持つことを確かめることができた。
 また、鷲塚泰光氏が指摘されている「天部形像のように目頭が角張った」ところ、また、瞼が黒石寺の薬師如来坐像(862年)のように波型(~~)であるところなどは、神像表現としてのデフォルメとも感じられ…強調されたアイラインが当初からの表現であるのならば…、肖像彫刻とはやはり一線を画しているようにも思えた。
 
 ◇それにしても、「最も肝腎な面相部」が「別材矧ぎ」であるという核心の謎は解けないままだ。
 「霊木・神木」(?)であったサクラ属の材は、鷲塚泰光氏が想定されているように、前面(面相部)には「朽損等 彫刻に不適な損傷があった」のであろうか?
 「霊木・神木」(?)の材に肖像的表現を施すことを忌避して、別材とした可能性はないのだろうか?
 もう少し勉強…考えるに及ばずと知りつつ…を続けてみたいと思う。
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表情の輪郭図:火天(左)・風天面(右)
(京都・教王護国寺旧蔵(現在京都国立博物館保管)の十二天面からトレース)
イメージ 1

伊豆山神社男神立像」頭部の輪郭図
奈良国立博物館の図録『伊豆山神社の歴史と美術』などをもとにトレース)
イメージ 2
*似ても似つかない表情の輪郭図となったけれど、十二天面に比べ、正面についてはやはり貴族的な容貌であること、左横顔には人間的な厳しさもにじませていることを改めて感じた。私の妄想のように、もし実在のモデルがいたならば、それはいったい誰なのだろう…伊豆山神社にゆかりのある人物なのだろうか。