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私の第三十四夜をつづります。

2015-11-01から1ヶ月間の記事一覧

2015.11.30

2015年も12月が残るだけ。鼻声でも、呼吸は気にならなくなった。 29日、友人の呼びかけで、日比谷公園へと向かった。 集会で、シールズの学生さんが話した。 ”沖縄がしこりだった”という言葉が印象に残った。 自分が沖縄の痛みを共有していないというしこり…

2015 .11.28

27日昼、安曇野に初雪、とメールが届いた。ぼたん雪だったという。 平塚はまだ“冬”の実感がないけれど、パソコンのなかでは今日から“冬”に入っていくことにした。 一年の終わりが近づくと、空を見上げて、今ごろあの人はどうしているか…と思うことが多くなる…

2015.11.25

24日の夕方、日没と競争するように海に向かった。 朝から市内を歩き回り、使い過ぎた痛みを足腰に感じながら、再び外に出る。 点滅する信号も走り抜ける。 浜はハマヒサカキが匂う季節になっていた。 夕暮れの海はまだ青みを残していた。 東の空には、十三夜…

2015.11.23

治りかけた風邪がまたぶり返した。気を取り直して、また一からやり直し。 22日は薬を持ち、マスクをしてサークルの調査に参加した。2006年時の調査をトレースするように、晩秋の相模原市田名地区を巡った。道々、仲間の会員たちの記憶が、「ああ、そうそう」…

“三宮相模君”④ ~三宮相模君を源義家室、藤原有綱の娘とする想定~

“三宮相模君”とはどのような人なのか? 今回、“三宮相模君”について、その夫の可能性のある相模国司を想定してみようと思った。その作業から、11世紀末~12世紀初頭の相模国の歴史の一端に触れることができるのではないか、という思いもあった。 結果、荒唐…

2015.11.17

11日、14日と、ボケの花色が白から桃色に変わっていくことを発見(?)した。 17日の今日、もしや?と花の色をチェックしてみた。さらに色濃くなっているように感じた。 嬉しくなって、11日・14日の花色と比べてみようと、今日撮ったボケの花の写真と一緒に…

“三宮相模君”③

1116年秋の雲居寺では、「雲居寺結縁経後宴歌合」(8月)をはさんで、前後の7月と9月にも一連の歌合が開かれていたことを知った。7月の「雲居寺歌合」で、三宮相模君は次の4351の歌を詠んでいる。 ____________________________…

2015.11.14

朝からの雨は、思ったより強く降り続いた。 午後、久しぶりにサークル活動に参加するため、長い傘を持って外に出る。 通い慣れたいつもの道。 12日に撮ったボケの花が、色濃い桃色に変わっていた。ボケの花が、時間と共に色濃く、たくましくさえなることを初…

2015.11.13

図書館に行こうか、海に行こうか。私の行く先と言えばそのどちらか。 12日、日が落ちる頃に海に向かった。ドームのように広がる鉛色の空…空は何色でも好きだ。 重ね着しても薄ら寒くて、足が早まってゆく。速度が速いと頭は空っぽになる。あれこれと自分に問…

2015.11.12

今の季節を秋としようか、冬としようか、迷う。 日記のカテゴリの季節から春・夏・秋・冬のいずれかを選ぶために。 陽のあたたかさのある間は、晩秋かなと思う。 日が落ちて、街の灯りの輝きが人懐かしく、あたたかく感じる頃には、ああ、もう冬に向かってい…

“三宮相模君”②

2014年11月、『雲居寺結縁経後宴歌合』の歌を初めて眼にした時、“結縁経”という言葉さえ知らなかった。まずは“三宮相模君”が相模の名をもつことに一番の興味を感じた。そして結縁経を巡って集った歌人たちは、いったいどのような人々なのか、知りたくなった…

“三宮相模君”①

『雲居寺結縁経後宴歌合』(『新編国歌大観』から) 五番 露 左勝 三宮相模君 ゆふされば をばなおしなみ ふくかぜに たまぬき みだる のべのしらつゆ 秋の野辺。夕風が尾花に吹き寄せて、白く輝く露の連なりを乱し散らしてゆく。 判者 藤原基俊は、三宮相模…

2015.11.6

図書館で調べものをしている時、私はどこかを浮遊し飛び回っているような気持ちになる。身体をどこかに置き忘れているような…。きっとISS内よりも、気持ちの良い浮遊感なのでは?と思ったりする。何せ、現実のすべてを忘れ去って、別の空間と時間を漂って…

『一遍聖繪』を観て

11月になった。遊行寺『国宝 一遍聖繪』展に出かけた。朝の空気はずいぶんと寒くなっていて、薄着で出たのを少し後悔しながら藤沢に向かった。 遊行寺の地は、”『更級日記』の「西富」はどこか”という関心を持っていた頃に何回か訪れた…その後、「西富」を「…