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私の第三十四夜をつづります。

2016-05-01から1ヶ月間の記事一覧

2016.5.30

29日、ホトトギスの声を聴ける頃…と期待しながら、高麗山に出かけた。 いつものように仄暗い山道を抜けて八俵山の尾根道に出る。緑が明るく輝く。一休みして浅間山に向かおうと歩き始めた時、不意をつくようにホトトギスが啼いた。北の林の奥深いところから…

2016.5.26

朝、ベランダのガラス戸を開けると、夏の風が吹き込むようになった。遠くの海からはるばると渡ってくる湿った風だ。春にも、冬にも、秋にも、こんな風は吹いてこない。風のなかに、南の海の姿が透けて見える…あぁ、また夏がやって来るんだと気づかせてくれる…

2016.5.23

22日、再び二宮駅へと向かい、サークルとしての調査に無事に加わることができた。21日は独り歩きの表面的な散策に終わったけれど、22日はかなりディープな調査になった。ひとえに二宮町の方々が詳しい案内をしてくださったおかげだ。 あとから分かったことだ…

2016.5.22

21日、サークルの調査に参加しようと二宮に出かけた。集合時間より30分も早く着く電車だった。久しぶりに降りる二宮駅はすっかり新しい顔つきに変わっていた。 通路に貼られた観光ポスターの風景を眺め、ラックにさされた町歩きのパンフレットを眺め、駅舎の…

2016.5.21

20日夕方も図書館に向かう。昨日よりは長居をして、気がつくと5時をまわっていた。平日の図書館は遅くまで開館しているのだった。コピーを1枚撮って外に出る。少しだけ肌寒く感じた。 駅に向かう人々の流れに沿って夕方の街を歩く。ほとんどが勤め帰りの人々…

2016.5.20

五月が緑を濃くしながら進んでゆく。図書館への道も緑のトンネルになった。スイカズラの花の香りに誘われるように、黒いアゲハチョウがふわふわと舞う。 図書館に入る。すでに4時を過ぎていた。あいかわらず、静かな空間。多くの人が机に向かっている。何の…

下馬周辺遺跡出土の鎧に使われた鳥の意匠

14日、埋蔵文化財センターに出かけた。公開中の県指定重要文化財「鎌倉出土の鎧」(下馬周辺遺跡)も見学することができた。やはり鎌倉の地下には中世の歴史がこんな形で眠っているんだ…と改めて感じ入った。古都的な風物を楽しんできた観光地鎌倉とは全く別…

2016.5.13

12日、博物館に出かけた。博物館近くの時計塔のそばでスイカズラの花が咲きはじめた、と聞いた。 文化公園の小道で、秋になればキンモクセイの花、カツラの黄葉の甘い香りにたちどまることはあったけれど、この季節にスイカズラの香りに気づいたことは?…と…

2016.5.12

11日午後、鶴見に出かけた。読み始めたばかりの『女たちの平安宮廷』(木村朗子 講談社 2015年)も持ち出した。バッグの中身が少し重たくふくらんでも気にならない。 見知らぬ遠い世界が1冊の本のなかに引き寄せられ、生き生きと広がっている…そう思うと何だ…

2016.5.8

春のそれとない気配は、寄り道をしながら近づいてくるのに、夏はいったん姿をあらわすと、まっすぐ、ふりかえりもせずに進んでゆく…ようにみえる。 駅から図書館への道も、日陰を選ぶようになった。 駅近くの小さな駐車場のセンダンの木に花が咲いた。 花屋…

『弘徽殿女御歌合』③ 補記(赤染衛門・藤原義忠)

◆赤染衛門(?~1041以降)のこと: 「弘徽殿女御歌合」(1041年)の時点で、右作者の赤染衛門は80代の高齢と推定され、同年には曾孫の大江匡房(1041~1111)も誕生している。赤染衛門は、この最晩年の歌合以前、1035年の「賀陽院水閣歌合(関白左大臣頼通…

「弘徽殿女御歌合」② 「重服の者」歌人相模

『袋草紙』下巻の「一、撰者の故実」(撰者の心得ておくべき先例)のなかに、「弘徽殿女御歌合」の左撰者で左作者でもある歌人相模について、次のような言及がある。 「重服(ぢゅうぶく)の人、歌合の作者に憚りなき事か。一条院の御時、弘徽殿女御歌合に、…

「弘徽殿女御歌合」① 歌人相模の歌の評価

『賀陽院水閣歌合』(1035年5月)で歌人相模が詠んだ“五月雨”の歌は、「殿中鼓動して郭外に及ぶ」という逸話を残した。人々の大きなどよめきが波のように広がった一瞬は、その後も語り草として伝えられていったのだろうと思う。歌人相模の歌は、当時の人々が…