enonaiehon

私の第三十四夜をつづります。

2016.5.12

 11日午後、鶴見に出かけた。読み始めたばかりの『女たちの平安宮廷』(木村朗子 講談社 2015年)も持ち出した。バッグの中身が少し重たくふくらんでも気にならない。
 見知らぬ遠い世界が1冊の本のなかに引き寄せられ、生き生きと広がっている…そう思うと何だか不思議な気がする。なぜ、単なる文字空間から新しい世界(のようなもの)が誕生し、そのイメージが仮にも立ちあがってしまったりするのだろう…いつもそう思う。
 
 鶴見駅に初めて降りる。見知らぬ町並みが普通に存在する。駅近くに建つ総持寺も、これまで名前を知るだけだった。世の中には、私が知らないままに終わってしまう世界の何と多いことか…私という存在が知る世界の何とちっぽけなことか…いつもそう思う。

 鶴見で初めて聴いた講義は、追いつくのが必死で終わった。メモをとりながら、思い出せない漢字がある。気を取られるうちに、肝腎の講義は先に進んでいる。あっという間の1時間半だった。帰りの電車が身動きできないほどだった。ただ、頭のほうは講義空間を反芻しているように宙ぶらりんで、そんな混みようも気にならない。
 
 大船駅のホームで西の空を見上げると、仄暗い雲の波間から夕月が顔をのぞかせた。そこに月があるだけで、空の何と親しげなことか…いつもそう思う。

イメージ 1
磨かれて光る「百間廊下」(総持寺):クスノキの緑を眺めながら広い境内を歩いた。大祖堂の飲み込まれるような空間に驚く。大屋根の天井に、時折、若いお坊さんたちの練習の読経が響きわたる。その重唱の響きはあまりに心地よく、身体ごと、音の波にひたされてゆくようだった。