今週はずっと家の中で過ごした。大事にとっておいた2年前の薬を飲んでみた。飲むたびに、少しずつ楽になっていった。
一昨日あたりから、日中は起きて過ごせるようになった。昨夜は、TV放映された『思い出のマーニー』まで観ることができた。
現金なものだ。主人公の少女が自分と同じ病気と知って、なぜか急に元気が湧いた。主人公の少女の病気がどんなものか、私は”知っている” …これは、彼女を理解するうえで、強み(?)なのかもしれないと。
いつのまにか、厄介な呼吸への忖度は吹っ飛び、眼と耳と意識だけの存在になって、画面に引き込まれてゆく。主人公の少女とともに、日常の世界と意識の底の世界との間を、当惑しながら行き来し続けた。主人公の少女とともに、満ち引きを繰り返す不思議な水辺を、勇敢に越えては帰ってきた。
それにしても、子どもの世界の表現の繊細さ…と思う。
(子どもが生きる世界は未分化で、隙間だらけで…思うままにあちこちの隙間を通り抜け、今とはまったく別の世界を見て生きていたのだ、と思う。)
それにしても、水の質感のリアルなこと…と思う。
(『千と千尋の神隠し』では、水にひたされてゆく線路の美しさに強い既視感を持った。今回は、主人公の少女とともに、満ち引きする透明な水に足をひたした…そして、その水の感触を実感した。)
映画を見終わって、自分の現実に少しずつ戻った。いつものように、うつ伏せの姿勢で横になる。『あの少女の喘息は、私よりきっと軽かったのかもしれない…』 そんなことを思いながら、安らかな気持ちで眠った。