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私の第三十四夜をつづります。

2012-06-01から1ヶ月間の記事一覧

六月の白い花の代わりに

いつからか、六月を特別な季節として感じるようになっていた。亜熱帯めいた湿り気。垣根から漂う濃密な花の匂い。 20代から30代の終わりまで、ひたすら家と会社を往復するだけの日々を繰り返していた。 一年のなかで六月だけは、闇にひたされて融けてゆくよ…

覚書:国府域東端の古代道(1)

24日、相模国府域を探訪したなかで、国府域を貫く古代東海道の現状での最東端にあたるという山王A遺跡第6地点などにも立ち寄った。古代東海道の延長先と推定できる遺構が検出された経緯(道路状遺構そのものは未検出)と、その東延長ルートについて言及があ…

相模国庁域から八幡宮へ

24日、久しぶりに四之宮・八幡の地域を歩いた。これまで数多く訪れた国府域。何回訪れようと、そのたびに、自分の眼が何も観察していない、自分の頭が何事も正確に把握していない、と知ることになる。 ただ、今回の探訪会では、配布資料の新旧地形図を対比し…

内裏相模についての補記

12世紀末の歌合に足跡を残す”内裏相模”とはどういう人なのか・・・その夫は相模守ではなかったか・・・との妄想から、大内惟義の名が浮かんだ。 その後、「大内惟義について」(『鎌倉幕府御家人制度の研究』 田中 稔 吉川弘文館 1991)という論考のなかで、…

海鳴り

眼が覚めると不思議なくらい静かだった。数時間前、吼えるような唸るような風の声を聴きながら眠ったばかりなのに。数年前まで住んでいた家は海から700mほどで、台風の季節には枕元に海鳴りの音が届いた。今、台風の波はどれほど砂丘に迫っているのだろうか…

風が吹くとき

去年3月の原発事故のあと、『風が吹くとき』というアニメーション映画を思い出した。昔、その映画を観たあとも私の無知はそのままだったし、現実に原発事故を経験してさえも、ジリジリと鬱屈をためこむ日々を重ねただけだった。デモも署名も要請葉書も、私の…

ホトトギス

2012.6.15 久しぶりに高麗山の山道を登る。木漏れ日に照らされた下草の緑が色濃く光っている。八俵山の尾根に出ると、尾根道の左右の林からホトトギスの声が響いてきた。梢から梢へ飛び移っているのだろうか。遠くに、近くに、キョッキョ キョカキョキョ と…

もう一人の歌人相模

11世紀の歌人相模の道をあてどなくさ迷うなか、12世紀末(正治2年12月28日)に催された石清水若宮歌合に、”内裏相模”の名前があることを知った。しかもホトトギスを詠んだ歌であることに興味を惹かれた。 あり明に 山ほととぎす 一こゑの なごりをのこす よ…

星の花

10日、仲間と訪れた北鎌倉。初夏の光がさしこむ寺の小道を奥に進むと、石楠花の花が隠れるように咲き残っていた。さらに奥まったところに、山の冷気と水気が伝う切り立った崖面が現れ、その暗い岩肌一面に薄紫の小さな花たちが静かに呼吸している。寺を囲む…

虹色の雲

海からの帰り道、夕方の光が物影を鮮やかにしていた。見上げた西の空に、かすかな虹色の雲が浮かんでいた。 去年の秋、伊勢原の空にあらわれた彩雲は、一緒に見た仲間から”環天頂アーク”というものだと聞いた。古代の人々は、虹色の雲に吉兆のメッセージを読…

覚書:「八幡(やわた)」をめぐって(2)

中世の「八幡」にあった神社(「八幡宮」)に係わる資料として『廻国雑記』という紀行文があることを知った。道興という京都の僧侶が、1486~87年にかけて東国を旅して著したという紀行文のなかで、相模国内の各地についても断片的に触れられていた。 平塚の…

覚書:「八幡(やわた)」をめぐって(1)

5月は『相模集』の世界、11世紀前半以降の相模国府の世界のなかで、うろうろ・もやもやしながら時間が過ぎた。 …12世紀半ばの相模国「旧国府別宮」について、その「(石清水八幡宮の所領)別宮」が成立したのはいつか。その八幡宮の勧請に(前身的な八幡宮と…