2015-07-01から1ヶ月間の記事一覧
歌人相模の初瀬参詣ルートについては、往路・復路を組み合わせて、何種類かのルートを想定できることがわかった。ただ、参詣ルートを推定する材料とした初瀬参詣七首(104~110)のうち、「竹淵」(110)の地点が定まらないため、一つのルートに絞り込むことは…
26日午後の日盛り。国会議事堂の周囲の木陰のない歩道では、ペットボトルと帽子は欠かせなかった。バッグも靴も、身に着けたものすべてが発熱し、背中側の記者会館のフェンスは素手で触れることができないほどだった。 包囲行動のなかで何回も繰り返される抗…
約60年という長い時間、徒歩や電車で行き来できる狭い空間で暮らし続けてきた。今や、心身ともにすっかり、錆びついてしまった。頭も足も、使わない方が楽になってしまった。ただ、今のままで良いわけではない、とも思う。 構造構成主義・構造構成論という言…
三十講の歌合せに五月雨を 594 五月雨は 美豆の御牧の まこも草 かりほすひまも あらじとぞ思ふ (『相模集全釈』から引用) _______________________________________ これまで、歌人相模の初瀬参詣推定ルートにつ…
21日、修善寺温泉に向かった。修禅寺宝物館を見学したいと思い始めてから、随分と時間がかかってしまった。 修善寺駅は驚くほど新しくなっていた。そして三連休後の修禅寺周辺に、観光客の姿は無かった。 念願の宝物館を見学する前に、修禅寺奥の院まで、「…
2010年春以降、私が考古学の学びの場に参加する機会はめっきり少なくなった。 それまで、縄文時代や古墳時代、そして古代と、それぞれの時代の遺構や遺物などを通して、考古学の初歩というものを、覚束ない理解力でコツコツと長い時間をかけて学んできた。 …
≪歌人相模 ~ 初瀬参詣の連作7首(104~110)≫ _______________________________________ 神な月 初瀬に詣づるに、稲荷の しものやしろにて みてぐら奉る 104 ことさらに 祈りをらむ 稲荷山 けふは絶えせぬ 杉と見る…
昨日の夕方、雨が降り止んだ。 外に出ると、風も空も、遠くの海域を進む台風の呼吸を伝えていた。 海が見たくなる。 西へと伸びる海岸道路の行く手は細かい霧でかすんでいた。 浜に出ると、雨なのか波しぶきなのか、かすかな水滴が頬にあたる。 波打ち際に何…
2015年の夏、日本という国が遠いところに連れ去られていく いつからか民主主義が危うい国になっていた 「なぜなら私が内閣総理大臣なんですから」という言葉は 「なぜなら私が独裁者なんですから」という言葉と同じ意味をもつようになった 独裁者は民主主義…
三十講の歌合せに五月雨を 594 五月雨は 美豆の御牧の まこも草 かりほすひまも あらじとぞ思ふ 歌人相模は、1035年の「賀陽院水閣歌合」出詠以前に、美豆の御牧の実景を目にした経験があったのではないか、と想像している。もし歌人相模が、淀川流域(桂川…
歌人相模の歌(「賀陽院水閣歌合」の五月雨の歌)の先例をもう少し探しておかなくてはと、再び私家集も眺めてみた。①178、②61・470の例はともに、実景を詠んだ歌ではないことに意味があるように思えた。『新編国歌大観』より引用させていただく。 _____…
7月が近づいて、細い通りに早々と七夕飾りの竹が掲げられ始めると、いつも、『梅雨の七夕まつり…なぜ、この時期に?』と思う。そして、最近の梅雨は肌寒いことが多いな、とも思う。子どもの頃の七夕まつりは、夏の蒸し暑さと、歩くのもままならない人いきれ…
「 延喜御時歌合に よみ人知らず 108 五月雨は 近くなるらし 淀河の 菖蒲の草も みくさ 生ひにけり 」 「〇五月雨 時鳥と配合され物思いを表すことが多く、このような叙景の例は珍しい。」 【『新古典文学大系 拾遺和歌集』(岩波書店)から引用】 11世紀前…
「賀陽院水閣歌合」 二番 五月雨 左勝 さがみ 3 さみだれは みづのみまきの まこもぐさ かりほすひまも あらじとぞおもふ (『新編国歌大観』から) 三十講の歌合せに、五月雨を 594 五月雨は 美豆の御牧の まこも草 かりほすひまも あらじとぞ思ふ (『相模…