enonaiehon

私の第三十四夜をつづります。

2015.7.27

 26日午後の日盛り。国会議事堂の周囲の木陰のない歩道では、ペットボトルと帽子は欠かせなかった。バッグも靴も、身に着けたものすべてが発熱し、背中側の記者会館のフェンスは素手で触れることができないほどだった。
 包囲行動のなかで何回も繰り返される抗議のコール。高校野球の応援団の声にも負けないくらいにと、つい無理をする。力をしぼりきるように長いコールを終えて、友人の方へと歩き始めた途端、身体がよろけてしまった。日頃の思いのありったけを吐き出して、脱力してしまったようだ。恥ずかしい。年寄の冷や水そのものだ。
 最初のコールが終わって、スピーカーから次々と聞こえてきた抗議表明の声のあらかたは、ひどくかすれていた。この夏、野党議員の人たちは、ずっとこうして訴え続けてきたからなのだろうか。悲壮な声であっても、力だけは強くこめられている。政府側の人たちの声が、今も滑らかにつるつると、ロボット音声のようであるのとは対照的だ。
 私の周りの人々も、ほぼ私と同じ世代と思えるのに、なぜだろう、頼もしく見える顔ばかりだった。社会生活で鍛えられ、しぶとい底力を感じさせる顔を見回しながら、みな同じ思いなのだろうな、と励まされた。
 一方で、抗議の声をあげる人々の前には、常に警官たちの姿がある。国会周辺の人々の流れ・動きを警備しているのだろう。日盛りのなか、制服姿のどこにもペットボトルは見当たらない。仕事中とはいえ、この抗議行動が行われる数時間の間、彼らは随時、水分補給ができないのかもしれない。
 抗議表明の中に「私たちは好き好んで、こうした抗議行動をし続けているわけではない」という言葉があった。警官という職業の人たちも、私たちも、それぞれ自分のなすべき使命を果たさなくてはと、真夏の午後、日盛りの中で、こうして国会議事堂を囲んで立ち続けているのだった。
 参加行動を終え、再び友人の方へ歩き始めると、今度は足もとがおかしい。見ると、歩道の上の私のサンダル靴は、信じられないような姿になっていた。この数時間の高い外気温は、私の靴を崩壊させていたのだ。足の甲をくるむ皮の帯が靴底からずるりと抜け、接着剤がべたべたと溶けていた。ヒールだけはしっかりと元のままだ。靴とはこんなふうに崩壊するものだったのか…。友人は気の毒がってくれたけれど、よりによって、こんな靴を履いてきてしまった自分が情けない。やれやれ…。
 結局、異様な姿で帰路を辿ることになった。地下鉄の電車内では、人々の視線が私の足元に向くのでは?と気になる。見られても自業自得だ。しかし、このままでは、とても歩き続けられそうもなかった。やむなく新橋駅で降り、崩壊した靴をズルズルと引き摺って靴屋を探す。
 藁をもすがる、というのはこういうことだ。数分後、買うべき靴は見つかった。お店の人は親切に「捨てておきますからどうぞ」と言って、惨めな私のサンダル靴を引き取ってくれた。新しい靴の何と気持ちの良いこと。20時過ぎには無事に家に着くことができた。まだまだ暑い夏は続くのだ。靴は崩壊したけれど、私は秋まで持ち堪えなくては。