enonaiehon

私の第三十四夜をつづります。

”壁”の感触が変わった日。

4月14日。曇り。寒くもなく暑くもない日。
13時半頃、国会議事堂前駅に着く。
茱萸坂から国会議事堂正門前へ向かう。
友人とゆっくり歩きながら、何だろう…どこかいつもと違う空気を感じた。
今日に限って(?)、制服警官たちの威圧感・存在感が迫ってこなかったから。

前回の3月16日・30日では、駅の改札口を出るや、すぐさま生じた緊張感が、今日に限って(?)無いのはなぜ?と思う。
警備の人的な壁が量的に薄いのだろうか…今日に限って(?)
その”壁”から発散するいつもの微妙な敵意のエネルギーがまだ高まっていないからだろうか…今日に限って(?)

抗議集会が進行してゆく間も、この”壁”の感触の変化は何に由来するものなのか?という訝しい思いが続いた。
そして、集会の中休みを期に、”壁”と私たちの対峙バランスが一気に崩れたのだった。
まるで、お互いに示し合わせたように。

集会の中休み…国会議事堂正門前の横断歩道の信号場所で堰き止められた人々が膨らみ続けた。
激しいコールを続ける人々が行き場をふさがれ、身動きが取れなくなった。
封鎖されていない信号まで遠回りをしようか…と私たちが思い直した時、あっさりと(?)”壁”は解除された。

横断歩道を渡りはじめた人々が車道にそれようとする流れは、今日に限って(?)威圧的に押しとどめられることはなかった。
同時に機動隊車両がすみやかに連結され、人々を粛々と阻む砦に変じた。
どこか、予定調和的に。

解き放たれたように、人々が車道に次々と躍り出る。
私たちはその波の渦に巻き込まれた形で、淡く輝く国会議事堂を真ん前に見上げることになった。
周りは若い人ばかりだ。若い人たちが声を合わせ、思いを合わせ、この場に集まっている。
サークル・ゲーム(The Circle Game)」の一つの”季節”に、そして、この”場”に巡りあったのだ。「まっとうな政治を」という彼らの思いの詰まった”いちご”を投げつけるために。

若者たちだけでなく、小学生さえも大人たちの背に囲まれながら、この場に居合わせている。
あまりに幼い人はこの場で何を感じ取っているのだろう…いったい何を?と思った時、小さい頃の思い出が断片的によみがえった。
その頃の私たちは、”楽しい電車ごっこ”に夢中だった。
幼い私たちは白黒TVで繰り返し眼にしたように、「アンポ ハンタイ! アンポ ハンタイ!」とジグザグに走り回って遊んだのだった。あの時感じたのは、みんなと一体となった快感・躍動感だったのだと思う。その気持ちをずっと忘れていたけれど。
その気持ちは今もほとんど同じにあるのだ、たぶん。子どもにも若者たちにも私たち老人にも。

で、今日の”壁”はなぜもろかった(もろく感じられた)のだろうか?
今日に限って(?)なのだろうか。
良く分からないままだ。

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2018年4月14日国会議事堂正門前①

2018年4月14日国会議事堂正門前②
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