enonaiehon

私の第三十四夜をつづります。

2015-01-01から1ヶ月間の記事一覧

2015.1.31

昔、TVの報道番組で心を惹かれるキャスターがいた。料治直矢さんだ。今でもその野太い声が聞こえてくる。自分の語り方を持った人だったと思う。今、彼が生きていたら、われわれに向かって何を語りかけただろう、とよく思う。早く去った人は、その時のまま…

『閑谷集』のなかの「伊豆山」(5)

考古学のみならず、歴史・日本文学の基礎を持たない私が、『閑谷集』の作者の周辺について、あれこれと想像をめぐらしてみた。 (歌語として使われる「真野」を知らずに、「まの」=馬野などと早とちりのイメージを描いた。) とはいえ、作者の周辺について…

『閑谷集』のなかの「伊豆山」(4)

◆『閑谷集』の作者が移り住んだ「おほはた」はどのようなところか◆ *「まののかやはら」* 139と141の歌に使われている「まののかやはら」という語は、「おほはた」での作者の居場所をたとえたものらしい。仮に漢字に変換すれば“馬野の萱原”となる(→【補記…

2015.1.28

「これ。タムラソウがドライフラワーになっていたから…」と軽くカサコソとした小さな一枝をもらった。 数日前、大室山のふもとの斜面に枯れ残っていたものだという。 もうすぐ2月の山焼きで焼かれてしまうから、ともいう。 タムラソウをよく知らない私は、そ…

大山道・鈴川近くの池状施設

24日、伊勢原市の子易・中川原遺跡の現地説明会を見学した。大山道の合流地点でもあるこの地域では、新東名高速道路建設事業に伴う調査が今も継続中だ。 子易・大坪遺跡で大型掘立柱建物(鎌倉~南北朝時代)、伊勢原市№163遺跡で石敷道状遺構(中世)、今…

『閑谷集』のなかの「伊豆山」(3)

『閑谷集』を乏しい読解力で読み進みながら、伊豆山への参詣路についての興味のほかに、とりとめなく感じたことを書きとめておこうと思う。 ◆作者自身について◆ *気持ちのすれ違いを恨む人 46と47の歌のやり取りからは、“伊豆山に住む知人”(彼も出家僧だろ…

2015.01.25

今日、友人と国会包囲の“人間の鎖-辺野古に基地はつくらせない!-”に参加した。 平塚の海辺に育った私にとって、辺野古の海の問題はそのまま、『もし、それが平塚の海だったら…』という惧れにつながるもののように思う。海を身近に感じながら育った自分の…

『閑谷集』のなかの「伊豆山」(2)

『閑谷集』のなかで、「伊豆山」にかかわる歌には次のものがある。 (『新編国歌大観 第七巻 私家集編 Ⅲ』(角川書店 1988年)の「閑谷集」から引用させていただく。) _______________________________________ 「伊…

『閑谷集』のなかの「伊豆山」(1)

図書館の書棚に並ぶ『新編国歌大観』のなかで、これまで手に取ったことがなかった巻を眺めていると、「伊豆山にのぼりて侍りけるに…」という文字が目に飛び込んできた。『閑谷集』というまったく見知らぬ名の私家集だった。その詞書と歌の内容を読むより先に…

2015.1.20

2015年もすでに20日。電車に乗っての外出は一日のみだった(桜木町の博物館と新横浜の病院に行った)。残りは、相変わらず図書館と海への往復で過ごした(あと、サークル活動のために博物館に2回出かけた)。 それにしても、博物館、病院、図書館、海…私の行…

2015.1.14

昨日、日没に近い時刻に散歩に出ることになった。図書館から借りた『陰陽師』を読み終わると、そんな時間になっていた。 「ゆこう」と自分に呼びかけると、「ゆこう」と自分が答えて、身体が海に向かってゆく…頭のなかには、まだ晴明と博雅が居残っているら…

2015.1.10

思えば、夏の日盛りのしんとした白い光には、暗黒の底無しの重力があるのではないだろうか。白い光の底無しの重力…それは無というもののイメージに近い。夏の日盛りに歩く時、存在は限りなく圧縮され、消失してしまうような不安と誘惑を感じる。 その夏の光…

2015.1.9

唐突に、私は生まれ育った家…正確には、その家に似たような空間に居た。その家は、今はどうも長兄が母と一緒に住んでいるらしいと直感した。そして、私はずっと母に無性に会いたかったのだと分かって、心急いで母が居るらしい西側の部屋に向かった。(私が育…

”古いかしわの木のさいごの夢”

”enonaiehon”は、2011年3月の大震災後、自分の生きてきた時間を時々ふりかえってみるためにはじめました。蝋燭の火のような自分の意識のゆらめきを文字の形に残せれば…とりとめのない意識を言語による虚像に置き換えられれば…あてどない自分のなぐさめ?にな…

2015.1.5

元旦から家族が胃腸をこわした。鬼の霍乱だ。初雪にあたったのかもしれない。 ずっと七草粥のような食事が続き、キャベジンの大きな壜が軽くなった。 炊き立てのご飯に梅干し…一年中、こうした食事で過ごし、方丈の庵に住まって、”お坊さんや尼さんのような”…

2015.1.3

元旦の午後、初雪の中を大磯まで歩いた。雪化粧した高来神社にお参りし、家族が集まる新年会に加わった。 久しぶりの若く元気な顔ぶれから、旅の話、仕事の話を楽しく聴いた。 私にも彼らのように元気な頃があった。世界は自分の人生そのものであり、世界は…

2015.1.2

2014年、何をしたわけでもなかったが、それでも、いくつかの節目を越えた。 快晴の世界を見渡しても、どこかで暗い雲が生まれている…すべてが移ろってゆく…いつからか、そうした意識にとらわれるようになった。 そして、50代にはかろうじて残っていたエネル…