enonaiehon

私の第三十四夜をつづります。

”古いかしわの木のさいごの夢”

”enonaiehon”は、2011年3月の大震災後、自分の生きてきた時間を時々ふりかえってみるためにはじめました。蝋燭の火のような自分の意識のゆらめきを文字の形に残せれば…とりとめのない意識を言語による虚像に置き換えられれば…あてどない自分のなぐさめ?になるような気がしたのです。そして、大震災後は、自分の蝋燭の火が消えたら、海のあわになった”人魚姫”のように、空気の精の仲間になって、風になって…と、そんなつごうのよいイメージを思い浮かべて生きてきました。しかし、すでにぼやぼや・うろうろ生きてしまった私は、その年齢制限らしきものをとっくに過ぎてしまっているのかもしれません(アンデルセンの本の挿絵では、人魚姫も空気の精たちも、若い娘さんの姿をしていますから)。結局のところ、”人魚姫”というより、”蝋燭の火”というより、”古いかしわの木のさいごの夢”のような”enonaiehon”なのですが、このような老木の独り言を、どこかで読んでくださる方がいるのであれば、とても嬉しい限りです。