enonaiehon

私の第三十四夜をつづります。

千手観音立像の面差し。

 

19日朝、大磯に出かけた。

まず、高来神社にお参りする(お正月に初詣した時の記憶もすでに朧げになっている。社殿の外にはお神輿が出され、新緑の境内では、湘南平をめざす?グループが準備運動にいそしんでいた)

参道の桜吹雪を踏みながら、慶覚院の仁王門をくぐる。
御本尊御開扉とあって、門もお堂も五色の幕で飾られ、一段と晴れやかな姿だった。

ほの暗い本堂は、拝観する人々や薄井和男氏による解説を待つ人々で、ほどなくいっぱいになった。
中央奥の厨子の扉が密やかに開かれている…あのなかにご本尊の千手観音様がいらっしゃるのだ。
さっそく厨子の前に進み、観音様のお顔とお姿を間近に拝した。

今日久しぶりに扉が開かれたことで、ひっそり佇む観音様はどこか戸惑うかのように見えた。
まず目に飛び込んできたのは、お身体の前面中央を縦に走る長い裂け目だった。まさに仏体を引き裂く無残な傷跡…。続いてお顔を見上げる。

それは仏様というより、”内気な女性神の面差し”なのかもしれなかった。
私たちが救っていただく…というより、むしろ、静かにそっと秘匿されなければならない存在…というような。

そうした印象はもしかすると、私たちの不躾な視線を避けるように、そのお顔がやや右(向かって左側)を向かれていること、そして、傷みが進んだそのお顔に、仏像として見慣れた形や表現が判然とは見当たらないためなのかもしれなかった(それによって、観音様は一層寂しげで所在無げな、とでもいうような表情に見えるのだった)

足元には、かつて”千手”をなしていた腕や手のひらの材がぐるりと置かれているのも、痛々しいことだった。

拝観後は薄井和男氏による貴重な解説を聴き、慶覚院の仏像群の概容を学んだ。そして、高麗山や八俵山、高来神社や慶覚院が一体となって、私にとって”大切な郷土”として存在することを改めて意識させられた。

慶覚院を辞し、再び高来神社の境内に戻った。
本堂で座って足が疲れたという友人と木陰のベンチで休み…座ってお昼にしようとして初めて、オムスビを買い忘れたことに気がつく…、初夏のような陽気を楽しんだ。

午後になって、少し風が出てきたようだった。
黄砂に煙る大山を眺めつつ、花水川を渡って平塚に帰る。

遠くに大山…高麗山の脇を花水川が流れて海へと注ぐ…それが私が生まれ育った場所なのだった。

 

 

高麗山を背にして晴れやかな慶覚院(大磯町)

 

千手観音立像の説明板(慶覚院本堂)

 

左:バス停横に貼られた「慶覚院ご開扉」のポスター(絵柄はお前立ちのお像)
右:御由緒書(慶覚院・地蔵菩薩坐像の写真)千手観世音菩薩の散華