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私の第三十四夜をつづります。

黄砂の一日。

 

12日夜、何か月ぶり、いや半年ぶりだろうか、久しぶりに喘息の吸入薬を使った。
翌13日、黄砂で煙った大山のシルエットを気にしながら、市内の”徳川家康ゆかりの地”(清雲寺~日枝神社~中原御殿跡~善徳寺など)をめぐり歩いた。

観光協会のガイドさんやお寺のご住職、地元の中原の方々のおかげで、黄砂の襲来も忘れて楽しい一日を過ごした。

清々しい社叢に守られた日枝神社の境内では、家康公の鷹狩のようすを生き生きと描いた絵馬に見とれた。
また、境内奥の土地の起伏に、往古の古墳の名残りを探さないではいられなかった(『平塚市史』では「自然砂丘の高まりであって古墳とはみなしがたい」とされているのだけれど)。

思えば、平塚では真土大塚山古墳も消滅してしまったのだし、塚越古墳の周辺環境も壊滅的に改変されてしまった。そして、今回訪ねた「中原御殿跡」も、その雰囲気を伝えるよすがは残っていない(中原小学校西方にあったとされる墳塚もまた…)。

その一方で、善徳寺では13世紀の作とされる木像地蔵菩薩坐像を拝し、人々に守られ残された「形」のありがたさというものを強く感じた(善徳寺のお地蔵様は、同じ13世紀とされる大磯町慶覚院の像の3分の1ほどの大きさで、お顔もお姿も全体に引きしまって硬質な感じを受けた)。

ツァーの終わりに、徳川家康が遺した長く安定した時代、その社会から生まれた豊かな文化の恩恵について語るガイドさんの思いにも共感した。

見学後は、渋田川・金目川(花水川)沿いをたどり、のどかに蛇行する流れと高麗山の姿を眺めながらゆっくりと帰った。

頭も身体も心地よく刺激された時間だった。

 

家康公ゆかりの井戸(青雲寺 平塚市豊田本郷)

 

家康公の鷹狩りのようすを描いた絵馬(日枝神社 平塚市中原)

 

「中原御殿跡」に建つ石碑(中原小学校 平塚市御殿)

 

家康公とのゆかりはないけれど…:お堂の蛙股(善徳寺 平塚市南原)

 

春の花水川と高麗山

 

水面から露われている平らな岩