enonaiehon

私の第三十四夜をつづります。

砂丘上の古墳群と国府域

≪map:相模国府域周辺の古墳・古塚・周溝墓≫   ● 古墳・古塚・周溝墓
(出典:『平塚市史 11 上  別編考古(1)』1999年 平塚市博物館市史編さん担当、ほか)

  
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1997年、平塚市博物館の考古サークルで学び始めた頃、市内の古墳分布図を作ろうと思い立ち、『平塚市史』や郷土資料をもとに悪戦苦闘したことがあった。

当時作成したその古墳分布図をもとに、相模国府域周辺にしぼった map を作ってみた。
国府域周辺のおおまかな地形をつかめるように、国土地理院地図の”自然地形”をベースにした。
(ベースが旧地形図ではないため、谷川〔やがわ〕の低地も消えて、第3・第4砂丘列の姿は判然としないが…)

今回、改めて map を眺めると、西を花水川、北を渋田川、東を相模川に挟まれるなか、砂丘列の西部から北部にかけて、かつて古墳群が並んでいたようす、そして、その古墳群の間を北西から割り込むように、推定古代東海道が谷川に沿って東進するさまが想像される(逆に見れば、国府中枢域から豊田方面に向かうルートのようでもあるけれど)

また、古墳が密集する西部域と、推定古代東海道との間…中原・新町地域…に広がる空間が、”さて、この空間は、いったい何に利用されていたのでしょう?”と問いかけてきたりする。

やはり、国府域西半部の東中原遺跡・新町遺跡や、国府域外の山王脇遺跡・厚木道遺跡・上宿遺跡などについて、新しい調査結果を加えたうえで、再検証してみる必要があるのではないだろうか?

 

(^^♪
このところ、国土地理院地図をもとに、せっせと地図を作ってばかり。
『enonaiehon』は『mapnoehon』になってしまっている。

海にも出かけず、満月も見逃し…何しろ暑すぎる2023年の夏。