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私の第三十四夜をつづります。

”「カラフルな考古資料たち」を楽しむ“

 

5日、平塚市博物館の夏季特別展を見学し、展示解説を聴いた。

で、こうした解説を聴くのは、たいていは大人たちなのだ…しかも、私のような”高齢者”が多かったりする…。
今回の特別展のタイトルに冠された「茶色ばっかりじゃないんだぞ!」の言葉が、夏休みの子供たち…未来の大人たち…にこそ届いて、精選されたさまざまな考古資料たちを間近に見つめてほしいと思った。

で、美しく、見やすく展示された考古資料のなかで、私の印象に残ったのは、七ノ域遺跡第3地点の「白釉緑彩埦」(SI02出土 平安時代だ。
(これまで厚木道遺跡第3地点の「白釉緑彩皿」や、六ノ域遺跡第3地点の「緑釉緑彩皿」は目にしたことがあったが、七ノ域遺跡という、ちょうど国府域中央部からも出土していたことを知らなかったのだ。
その報告書をザル目で眺めて見落としてしまった貴重な資料を、今回、このような形で見ることができたのはラッキーだった。)

帰宅後、改めて、「七ノ域遺跡第3地点」の報告書平塚市埋蔵文化財シリーズ43『七ノ域遺跡第3・5地点』2009年 平塚市教育委員会を見直すと、この埦(口径143㎜ 蛇ノ目高台)は、SI02(一辺600m前後 9c前半 大型掘立柱建物SB02〔9c中葉~後半〕の東7mほどに位置する)の覆土から出土したことが分かった。
この「白釉緑彩埦」は、「白釉緑彩皿」(厚木道遺跡第3地点 SI03出土 9c後半)と並んで展示されていたが、約1.7㎞離れた両地点から出土した「白釉緑彩陶器」が、あたかもセット関係にあるように見えたりもする。
国府域外西部の厚木道遺跡などから出土した緑釉陶器の破片の中には、やはり、緑色というより黄白色で脆そうな感触で、平たい高台のものが多かったように記憶している。こうした黄白色で平高台という特徴的な緑釉陶器を出土する遺跡は、どのような性格を語っているのだろうか?)

白釉緑彩陶器(右‐七ノ域遺跡第3地点出土の埦 左‐厚木道遺跡第3地点出土の皿)とその側面

天神前遺跡第16地点、坪ノ内遺跡第5地点、中原上宿遺跡、真田・北金目遺跡群出土の緑釉陶器:
ここでも、近年の調査で出土した緑釉陶器が並べられていた。
(展示台が真っ白なので、クッキリした写真となった。)

 

烏帽子(坪ノ内遺跡第6地点 SE19 出土 鎌倉時代):
湘南新道建設の事前調査(1995年)で出土したもので、久しぶりの展示。
かの土屋三郎宗遠も、このような立烏帽子をかぶり、相模川を渡って土屋と鎌倉を行き来したのだろうか…などと思った。
(長年、市内の発掘調査に携わって来られた参加者の方が、この烏帽子を見たあとに、「きっと、あの烏帽子をかぶっていた人が、井戸の中をこうやって覗いて…身を乗り出して覗き込む仕草…、『あ~っ!』と烏帽子が井戸に落っこちたんだよ…」と話すので、あまりに可笑しくて大笑いしてしまった。
地球沸騰の酷暑に疲れ果てていたけれど、こうやって爆笑して、一気に気持ちが晴れやかになったことだった。)