enonaiehon

私の第三十四夜をつづります。

2016-04-01から1ヶ月間の記事一覧

2016.4.30

4月から5月へと暦が進んでいく…ついこの前まで馴染んでいた季節は、すでに遠く後景に退いてしまった。人生の時間もこんなふうに次々と後景に飛び去っていく。 光が強さを増してゆくこの時期、真新しい季節を繰り返し更新してゆく自然に対し、自分とはほど遠…

寄り道の覚書:『袋草紙』のなかの「三宮」と「義家」

図書館で『袋草紙』(岩波書店 1995年)を借りてみた。歌人相模に出会わなければ手にすることもなかった書物だ。いつもの通り“つまみ読み”をする。思いがけなく、上巻【自詠の評価に執する。憲永・匡房】の逸話のなかに、“輔仁親王(三宮)”が登場し、“源義…

2016.4.25

ハマヒルガオが咲き始めたと聞いて、海に向かった。 平塚海岸の自然景観は1950年代から大きくは変わっていないように思う。 昔の記憶を劇的に塗り替えるほどの人工的な景観にはまだ至っていない…というべきだろうか。 子どもの頃にはあった浜辺のごく小さな…

2016.4.24

私にとって”初夏”という季節はいつも、ある瞬間、刻印を押すようにはじまる。 昨日、友人に会うために外に出ると、まぶしいような陽射しだった。広がる空気はひんやりと静かなのに。高原のような空気と光…”初夏”の印象はひんやりとまぶしいのだ。 一年のなか…

2016.4.21

九州での地震から、平塚市の上空を行き来する航空機の数がいっそう増えているような気がする。街を歩いていても、海岸にいても、銀色の機体が高く低く、頭上を通り過ぎてゆく。 昨日の平塚の海は、白波が騒ぎ立っていた。寄せる波はヒスイ色。 浜辺には大き…

2016.4.15

5年前の春、平塚市博物館の会議室で大地震を経験した。 古い博物館の建物全体が水面に浮かんでいるかのように、足元の床が前後左右に流動した。 余震の続くなか、家に帰ろうとして交差点で立ちどまり、空を見やった。 電線が縄跳びの縄のように跳ね踊ってい…

2016.4.12

60代になって、私の頭の中のスポンジは固く収縮しはじめている。 もともと偏っている嗜好・関心の幅もいよいよ狭くなりつつある。 新しいことよりも、今まで通り。楽なのが一番。無理をするのはやめよう。こうして私も保守的で偏狭な老人になってゆく…そう思…

2016.4.10

夕方遅くなって外に出た。家の空気は、外に出た時、家に戻った時、あぁ…と思うほどによどんでいることに気づく。そのなかにいては、分からないものだ。人は環境に慣れて生きてゆくけれど、慣れてゆくことが良いのかどうか。 あぁ、もっと早く外に出ればよか…

覚え書:大江公資の”女事”

大江公資は長元8(1035)年5月16日、”賀陽院水閣歌合”(『関白左大臣頼通歌合』)に出詠する。別れた<二番目の妻>歌人相模や知友である能因も、ともに左方の歌人として出詠した歌合だった。そして歌人相模と大江公資の歌は”勝”の判を得た。 その華やかな歌…

2016.4.8

今年、図書館近くの桜が満開になった時、母を思い出した。 そのけむるような桜色の横雲の下に、遠い母の姿を見たように思った。 もう二十年も前のことだ。 うららかな日だったと思う。 海近くの母の家から、その桜の樹の下まで母と来た。 あの頃の私は今より…

寄り道の覚書:源義国妻の歌

歌人相模に関心をもちはじめてから、新しく名を知る人々が増え続けるばかりだ(みな800年以上も昔の人たちばかり…)。 11世紀の歌人相模から、さらに時代を下って、三宮相模君の名を知り、そこからまた周辺の人々の名を知る。源義国の名も、三宮相模君から源…

寄り道の覚書:”堅田の妻”と歌人大江公資の血筋

相模国司・大江公資の<妻>として相模国に下った歌人相模は、次のような歌を詠んでいる。 『相模集全釈』(風間書房)から 230 若草を こめてしめたる 春の野に 我よりほかの すみれ摘ますな この歌には、<妻>(歌人相模)の存在を忘れた相模国司・大江公…

2016.4.6

明日は雨よりも花吹雪の風だったらよいのに、と思う。図書館へと続く石畳の道に、花びらが一面に散りしくのを見たいと思う。なんとも贅沢な道になることだろう。 今、華やいだ景色は桜だけではない。少し前には裸だった枝々に、オリーヴ色の若葉がもくもくと…

寄り道の覚書:鎌倉のなかの”11世紀”の跡

歌人相模の何かしらの足跡を探してみようとするなかで、11世紀の鎌倉について再び興味をもつことになった。 11世紀の鎌倉に最初に興味を持ったのは、相模国府について学んでいた頃だった。『大磯町史』に挙げられていた11世紀の相模国司としての源頼義・源義…