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私の第三十四夜をつづります。

2015-09-01から1ヶ月間の記事一覧

2015.9.30

29日、鎌倉国宝館の展示「特集:鶴岡八幡宮と東大寺」を見学した。 9月に入ってから、平塚の図書館で、その大きなポスターを眼にしていた。階段の踊り場で何度も立ち止まり、ポスター全面を占める仏像(?)の面を眺め、その美しさと厳しさに惹きつけられた…

2015.9.29

27日夜、東京から月の写真ファイルが送信されてきた。折り返し、平塚の月を送った。 瞬時に、デジタル画像と日常的な言葉が送信され着信する。そんな時代に生きながら、かつて、日々折々に歌がやり取りされていた時代が存在したことを思わずにいられない。そ…

2015.9.27

今日、昼前に家を出て最初の角を曲がると、向こうから、ほんの一握りほどのススキ(のようなもの)を手にした年配の女性が歩いてきた。そうか、今日は十五夜…と思った。今晩の月はどうなのだろう…とも。 その後、友人と会って、やはり「今夜はどうかな?」と…

2015.9.24

父の命日にあたる22日、墓参りをした。兄、兄の家族も一緒だった。相模川右岸沿いに車で進む。遠くに丹沢の山並みを望む丘陵にたどりつく。 私の父は65歳で亡くなった。私もじきに父の歳になる。この数年、そう思うことが多くなった。 父は北海道の農家の長…

2015.9.21②

高麗山の尾根道に出る一番の近道は、まっすぐ八俵山に向かうルートなのだろうか。 20日も、高来神社にお参りしてから、20分ほどで八俵山に着いた。男坂ではこうは行かない。 八俵山に出ると、いつもちょっと休む。水を飲んだり、風や鳥の声を聴いたりする。…

2015.9.21①

20日、高麗山に出かけた。6月の初めにホトトギスの声を聴いてから一夏が過ぎた。 6月と同じ南斜面の道を辿る。薄暗い山道の高みに響くのはミンミン蝉、メジロ、そしてキツツキ?の声。足もとには、谷を流れる水の音。 八俵山に着くと、いつもより多くの人た…

2015.9.19

「すすめ すすめ じえいたい すすめ」 「あすから あめりかぐんたいと こうどう ともにできるのも みな あべさんのおかげです おくにのために おくにのために つくされた みな あべさんのおかげです」 コンナ ニホンニ ダレガシタ ソンナ ニホンニ サセマセヌ

2015.9.17

東京に向かうのは木曜なのだろうか、それとも…今週は、そんな宙ぶらりんの思いで始まった。 月曜は、用あって出かけた。初めて歩く道で足が止まった。古い屋敷地の塀際にザクロの木があったから。複雑な色合いのしっかりとした実が生っているのをしばらく眺…

橘樹郡衙跡からの眺め

12日、久しぶりに千年伊勢山台遺跡の現地説明会に出かけた。 2004年1月の橘樹郡衙跡、2006年10月の影向寺遺跡で行われた現地説明会を最後に、10年近く訪れていなかった調査現場だ。今回、台地東側の正倉群、西側の古代寺院との中間あたり…やや西寄りの地点で…

2015.9.11

この三日間、雨が小止みになると外に出ては図書館に向かう…を繰り返した。道々、傘を開いたり、閉じたり。この三日間、平塚の町の雨はそうした降り方だった。 図書館でも本を開いたり、閉じたり。 あてどなく、未知の世界に踏み入って、道草そのものの時間を…

シンポジウム(古代東国の地方官衙と寺院)を聴いて

雨も降らず涼しかった5日、一日がかりのシンポジウムに出かけてみた。 ”評から郡へ”という歴史の流れのなかで成立してゆく古代東国の郡家と寺院について、7つの報告と全体討論を聴きながら、自分の最近の不勉強を感じ続けた。7名の研究者の方々の報告が、次…

(無題)

私が、自分というもののゆらめきの一部をブログという形で保存し始めたのは、2011年3月11日の大きな地震と津波がきっかけでした。 それまで、ブログというものに自分が一歩踏みだせるとは思っていませんでした。今でも、自分のブログのことを人に話せません…

2015.9.4

つなぎとめるものなく、あてどなく、自由。 昔、母が繰り返し語った思い出の一つが、夏休みを過ごした塩屋のことだった。 ”塩屋”、そして”大聖寺川”。今も私の見知らぬ土地だ。 母の思い出のままに、その海、その川で泳ぐ少女時代の母の姿を思い描いたものだ…

2015.9.3

図書館にいると、なぜ気持ちが落ち着くのだろう。海の風、波の音。それに似たものが、図書館のどこにあるのだろう。 膨大な量の書物は過去の人々の言葉の海なのだろうか。その海から波の音が聴こえてくるのだろうか。書棚の間をさまよって、辞書を眺め、地図…

2015.9.1

もう9月。2015年の過ぎてしまった時間のこと、残る時間のこと。何もしてはいない自分のこと。ふりかえると気持ちが沈む。こんな時、浜辺暮らしの猫に逢えたら、と思ったりする。もうどこにもいない猫。そして、もう昔のようには会えない人、話せない人…ぼん…