27日夜、東京から月の写真ファイルが送信されてきた。折り返し、平塚の月を送った。
瞬時に、デジタル画像と日常的な言葉が送信され着信する。そんな時代に生きながら、かつて、日々折々に歌がやり取りされていた時代が存在したことを思わずにいられない。そんな時代が再び出現することは決してないのだ、とも思う。
言葉は、言葉の文化は、もうすでに退行へと向かい始めているのだろうか。そして、やがては獲得した世界を喪失していくものなのだろうか。
すべてが移り変わるのであり、すべてが永遠のものではないのだから。
9月28日の浜辺①
9月28日の浜辺②
9月28日の浜辺③