enonaiehon

私の第三十四夜をつづります。

2015.9.27

 今日、昼前に家を出て最初の角を曲がると、向こうから、ほんの一握りほどのススキ(のようなもの)を手にした年配の女性が歩いてきた。そうか、今日は十五夜…と思った。今晩の月はどうなのだろう…とも。
 その後、友人と会って、やはり「今夜はどうかな?」と、曇った空を見上げた。満開のキンモクセイの下のベンチで、とりとめのない話をして過ごした。
 萩の花も話題になった。友人の畑ではもう萩が咲いているという。私の萩の強い記憶は、唐招提寺の境内で見た萩の姿だ。雨に打たれて重そうに身を投げ出していた。萩の花のあり方が心に残るようになったのは、その時からだったと思う。
 
 秋の午後は素敵だ。長袖がちょうどよい季節がやってくると、子どもの頃から、なぜか、懐かしい気持ちでいっぱいになった。何が懐かしいのだろう。この季節がやってきて、その不思議な気持ちを味わうたびに、なぜだろうと思うのだ。
 わけもなく満たされるような、ほのかに寒く、ほのかにあたたかい季節がやってきた。

十五夜の月(2015年9月27日)
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『相模集全釈』から
          八月
464  くまなしと 嘆くならねど 秋の夜の 月に心は あくがれもする 

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雨に打たれる萩(2011年10月8日 唐招提寺

『範永集』から
       左大臣どのにて、野花 庭にうつすころ
19  こころありて つゆやおくらん のべよりも にほひぞまさる あきはぎのはな

       あめによりて、野花いろかはる
39  あかなくに 野べのあきはぎ 雨ふれば ひかりことなる つゆぞおきける