2017-10-01から1ヶ月間の記事一覧
先だって見かけた地下道の絵。 今日も地下道を通った。『おや?』と思った。 絵の奥の富士山の横に、夕陽が、それもリンゴの夕陽が描き加えられていたから。 あの日、塗りたての絵はまだ完成していなかったのだ。 作家は、夕陽のリンゴを描くのを最後に取っ…
本日は晴天なり。 朝の空が水色だった。 台風一過。 出かけるなら、午前中の海だ、と思った。 海岸に着く。 やっぱり、大島が浮かんでいる。 富士山は雲のなかから、ほんの少しだけ裾野の曲線を覗かせていた。 波打ち際近く、ウエットスーツの女性が腰をおろ…
春・夏・秋・冬…若い頃に季節の移り変わりに今ほど関心をもたなかった。 ただ、秋の気配だけは特別に意識しないではいられなかった。 それは秋という季節が、自分の呼吸を急に不安にさせる季節だったから。 そして、それは漠然とした孤独と郷愁がないまぜに…
10月11日夜、新宿駅南口の改札口を抜けた時、人々の流れのなかで、突然”国際反戦デー”という言葉が浮かんだ。 場所の記憶…個人の社会的記憶というものは、雑多な要素からなる”或る雰囲気”として記憶の奥底に沈んでいるらしい。それが時たま、眼の前の風景に…
今朝、手に取った新聞の一面の見出し。 袖のタイトルで「立憲抜き」の文字が厭な感じで躍っていた。 公党の名前に冠された「立憲」という文字は、こんなふうに象徴的なものだった…そう感じた。 「改憲論議」と向き合う「立憲」。 「立憲」と「改憲論議」の文…
22日午後、台風が近づくなか、川崎に出かけた。 川崎駅は異国のように様変わりしていた。どこに出かけても私は浦島太郎だ。 巨大な駅舎から外に出る。 コンサートホールまで歩くことにした。雨も風も、傘がさせないほどではなかったから。 広い通りがまっす…
たまたま、日本という”家”に生まれた。 その家は、”民・主・主・義”の4本柱で建っている”家”だった。 はじめ、青天井だった。 ”壁”がたち、”屋根”がつき、雨風をしのげるようになった。 脱脂粉乳を飲んだ時期もあった。 20歳まで無事に育ち、”鍵”をもらった…
17日午後、20年来の飲み友達と1~2年ぶりに逢った。 1997年に知り合った時はお互いの髪は黒く、まだまだ若さの余韻があった…と思う。 いつしか友人の短髪はごま塩から白髪へと移り変わり、私も白髪を隠しようのない頭になった。 久しぶりの再会だったけれど…
11日夜…何年ぶりなのだろう…初台駅で降り、コンサートホールまでの道を思い出しながら歩く。 都会の夜の外れに静かな空気が広がっていた。 この”音楽領域”の空気感をすっかり忘れていた。 閉鎖的なのか、内省的なのか。内側の光と音と熱気を隔離するような”…
昨日の夕暮れ時、もう忘れてしまったほどにチマチマとした思いをめぐらせて歩いていた。 その時、見るでもなく見上げた空にピンク色の小さな雲たちが浮かんでいた。 いつもの家並みの上に浮かぶ何でもない雲。 でも、夕陽が沈もうとする時、一瞬、美しい雲に…
昨日の暦には「寒露」とあった。 季節はずれの陽射しのなか、”水辺の楽校”に向かう。 休日の川辺。 土手の斜面は、サッカーの練習を見る人々で埋まっていた。 観客には、自身がフィジカルそうな人も、そうではなさそうな人もいる。 若い女性たちが日傘を並べ…
いつだったか。 友人とインド林檎の思い出を話し合ったことがある。 今はどこにも見かけないインド林檎。でも、その独特の匂い、甘さ、形をはっきり覚えている。 そして、この季節、毎年のように、友人からリンゴをいただく。今秋は2回目。 数年前に比べ、少…
昼、吐き出されるように横浜駅の外に。あたりの風の冷たさに驚く。 今日は、眼科での長い長い待ち時間が、あっという間に過ぎた。 きっと、持ってきた本の中で、主人公の時間を、彼と一緒に過ごしたからだ。 その世界から待合室に戻ってくる。 なんだか、ふ…
最近、心が苛立って困ることが多くなっている。 なぜだろう。 なぜだろう。 なぜ、こんなに荒んでしまったのか、はっきりわからない。 そのことがまた不安だ。 日々、安易に貪っているもの。 日々、安易に取り込み続ける雑多な、そして不要な情報。 日々、安…
10月2日。 机の上には、数日の間、読めないままに溜まっていった新聞の束。 ちょっと前まで未知だった時間の堆積(?)。 未知の世界からやってきて(?)、すでに過去の世界のものとなった(?)時間。 そのほんの一部の出来事が、わずかな記事のなかにおさ…
先日、enonaiehonを読んでくださった方から貴重なコメントをいただいた。 そのなかに、「貪・瞋・癡」という言葉があった。 初めて見る言葉。 仏教の言葉であるらしいと思ったけれど、読み方すら分からなかった。 調べてみると、「貪」は(どん)…