17日午後、20年来の飲み友達と1~2年ぶりに逢った。
1997年に知り合った時はお互いの髪は黒く、まだまだ若さの余韻があった…と思う。
いつしか友人の短髪はごま塩から白髪へと移り変わり、私も白髪を隠しようのない頭になった。
久しぶりの再会だったけれど、お酒を飲む時間には早く、お茶を飲みながら楽しい時間を過ごした。
友人の話はいつも面白い。笑い過ぎて呼吸が乱れ、喘息気味になってしまうくらいに。
時には可愛い手品をしてくれたりもする。そんな人だ。
そして、今日の友人は、広がりのある家族模様をまじめに、それでいて可笑しみのある視線を交え、語ってくれた。
一方、いつもどおり、私には格別面白い話題はなかった。
ふと、最近読み始めた『菅野完リポート』のなかで語られていた落語にまつわる話を思い出した。
そこで語られていたのは、『青菜』というネタを陶然と聴いた果てに、よりによって、オチの大トチリを目の当たりにした筆者が、暗澹とした思いで帰路をたどる…そんなふうなエピソードだった。
そして、噺家さんが仕出かしたその大トチリについて、筆者は具体的に書こうとしていなかった。
ただ、「オチで、しかも青菜のオチで、トチリやがったのです。」とだけあった。
落語に(も)疎い私は、さっそく、『青菜』という落語をネットで聴いてみた。
面白かった。そして、同じ噺家さんのその動画では、オチの大トチリはなかった。
私は友人に、動画で聴いて印象に残った『青菜』の大雑把な展開を話してみた。
しかし、私のかいつまみ方は下手なうえに、まったく不十分すぎるものだったのだ。
友人が私に聞く。「で、そのオチは?」
一瞬、私は『えっ、オチ…?』と思った。
そうなのだ、私の話はオチの一瞬手前のところで終わってしまっていた。
しばらく考えたけれど、思い出せなかった…。
その後も、二人の他愛のない話は続いた。
友人との久しぶりの再会は、私のささくれがちな心を落ち着かせてくれた。
友人と別れ、家に帰る。
もう一度、『青菜』の動画を聴いてみる。
『オチは…?』
オチは分かった。そうか、こんなオチだった。
そして謎に思う。
このオチを、あの噺家さんは、どのように「大トチリ」してしまったのだろうと。