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私の第三十四夜をつづります。

2022-01-01から1年間の記事一覧

月と木星の下で踊り出す人魚姫

29日夕方、買い物を終わって駅に向かっていた。暮れの街角で空を見上げると、明るい星と向き合う三日月が美しかった。 そういえば、先日見た博物館のツイッターで「…夕空に地球を除く全7惑星が(月も!)勢揃い。天王星と海王星は肉眼では見えないので、実際に…

「何もしてこなかったなぁ…」

できれば何もしないでぐずぐずと過ごしていたい性分の私にしては、2022年12月は例年よりマメに動いた気がする。それでも、手帳を開くと、ずっと前に書き込んだ予定のほかには何も書き足されていなかった。手帳を開いてその日をふり返る時間もなく、疲れ果て…

公開講座視聴メモ

10日、かながわ考古学財団の公開講座(『時代の変換期に生きた相模の人々のくらし-古代から中世へ-』)を視聴した(申し訳ないほどに気楽な学び方で、しかも得るものは大きいのだった)。 その講座のなかの松葉 崇氏(かながわ考古学財団)による「中世前…

時と空間を共有するということ。

3日の夕方、外に出るとまだ明るい光が残っていた。何となく月の気配を感じて東の空を見ると、そこにはやはり月がいたので『やぁ!』と声をかけた。 急に、買い物の前に海に行ってみようと思った。 浜に着くとヒサカキの匂いがして、”そういう季節”なのだと…

遠い島②

壱岐と対馬の位置(厳原町「ふれあい処つしま」で):今回の旅で見聞したことの多くが、壱岐・対馬の地政学的な位置づけと係わったものだったように思う。大陸や半島から人と文化が渡来する窓口となったこと。元寇が襲来したこと。対馬・壱岐の沖合で日本海…

遠い島①

11月の時間のあらかたが、あっという間に消えていった。 11月半ば頃、家族との旅に出かけた。帰ってから博物館の講座などに出かけた。そのくらいしか思い出せない11月だった(まだ終わっていないけれど)。するすると消えてゆく記憶をとどめるために、せめて…

11月8日の月蝕。

8日の夕暮れ、買い物帰りに横断歩道で立ち止まった。 空を見やると、ビルに隠れている東の空が放射状に明るんでいるようだった。そうか、今夜は月蝕…ビルの後ろでは、その月がもうのぼり始めているのだ。 家の前の道に入って驚く。 道の真正面の空に、大きな…

11月のスミレ

5日の朝も温かな陽射しだった。ベランダに出ると、足もとの植木鉢に白いものが見えて『え?』と思った。 緑の葉の間に小さな花が一つ…スミレが咲いていた。水やりしていても、気がつかなかった、蕾があったなんて。 春のような陽射しに誘われて、新たな季節…

11月の夕方。

もう二度と逢えない。 二度と逢えなくなるかもしれない。 失ったこと。 失うかもしれないこと。 年を取ってゆくと、きっと、そういうことを受け入れやすくなるのだろうと思っていた。 でも、そうでもなさそうだと思いはじめている。 ことに11月の夕方はさび…

秦野市蓑毛~寺山~西田原に残る仏像群(2)

蓑毛の坂から望む相模湾と大島:大日堂を出て坂道を下り始めた。すると眼の高さの空に、平塚の海から見る時よりずっと大きな大島のシルエットが浮かんでいてびっくりする。自転車愛好家たちが、ヤビツ峠から勢いよく走り下ってくる姿を見送りながら、道路の…

秦野市蓑毛~寺山~西田原に残る仏像群(1)

この秋、秦野市で指定文化財が特別公開されることを知り、30日朝、バスで秦野に向かった。 出かける前に、公開中の三つのお寺…大日堂・円通寺・金蔵院…の位置を地図上で確かめてみる。 平塚から金目川に沿って北西に向かい、秦野駅から北上してヤビツ峠~金…

北条時政書状(1203年)を見て、金沢三山を巡る。

金沢山(きんたくさん)からの眺め:中央奥に小さく浮かぶのは猿島だろうか? 26日、友人と金沢文庫に出かけた。 夏に横須賀美術館の『運慶 鎌倉幕府と三浦一族』展を見逃していたので、ようやく念願がかなうこととなった。 2018年に浄楽寺・満願寺や清雲寺…

「唯ぼんやりとした不安」

秋になって、友人たちの近況がポツポツと分かるようになった。 私と同じように、みな、何とかコロナも夏も乗り越え、ホッとした頃合いのようだ。 そして、私の”ただゆるんだままの気分”は、「唯ぼんやりとした不安」と一緒のものになっている。 たぶん、それ…

朝から「ロック」に乾杯!

今朝の新聞の「朝からロック」に励まされた。 このところ、辺野古での抗議活動をめぐって、”さまざまな人々の感想”を目にしていた。私には到底理解できないものがあった。どうにもやりきれなかった。 おのれの70歳という年齢を思い出し、沸騰する思いを何と…

海に行く。

この数日、家事から解放された。一昨夜も昨夜も…何に疲れたのか…良く眠った。 一人で過ごす空間…。時間と意識は、ゆっくりだったり、あっという間だったり、いつもよりさらに、とりとめなく流れてゆく。 20世紀半ばに生まれ、70年の月日が流れたのだと、つら…

秋は来て 君なき空に 風わたる

夏の間に汚れたカーテンを洗い、掛け直した。 扇風機の羽根も拭いて、片づけた。 ほかにも、季節の変わり目は、小さな家事がふえる。 季節の行事には縁のない暮らしでも、家事のなかに季節を感じる。 《2022年秋の月:10月8日・10日》 十三夜の月は欠けてい…

『相模集』の「石田」を探す

今回の一人旅には、長年疑問としてきた、『相模集』の「石田」の候補地を探す目的もあった。___________________________________ 軒の玉水かず知らぬまでつれづれなるに、「いみじきわざかな 石田(いした)のかたにも …

歌人相模の初瀬参詣:淀川②「美豆の御牧」と「淀津」の推定地を訪ねる

一人旅の二日目、重いリュックから解放され、元気よく「淀駅」に向かった。「美豆の御牧(みづのみまき)」推定地に近い「淀駅」前には、偶然なのだろうか、京都競馬場が立地していた。(歌人相模がこの21世紀の「淀駅」に降り立ったなら、周辺の風景から不…

歌人相模の初瀬参詣:淀川①「大川」を訪ねる

11世紀の歌人相模の初瀬参詣ルートを探る旅は果てしない…一を知ると十の疑問が生まれてくる…。歌人相模が詠んだ初瀬参詣7首から、そのルートをあれこれ想定してきたが、彼女がとった道筋はかなり独自なもののようだ。そして、これまで想定してきたルートに…

3年ぶりの一人旅。

9月下旬、”歌人相模“の足跡を探す旅に出かけた。 3年ぶりの一人旅は、体力・知力の低下と、相変わらずの方向音痴のために、当初の予定を充分には消化できなかった(帰りの新幹線は途中で台風に見舞われ、浜松駅で車中泊を余儀なくされるという予期せぬ出来事…

あつぎ郷土博物館の展示を見学して。

11日、考古学のサークル活動として「あつぎ郷土博物館」に出かけた。かつて街中にあった手狭な印象の資料館は、新たな形で厚木市北東端の中津川べりへと移転していた(市中心部から遠いことを除けば、新しい博物館の展示は素晴らしいものになっていて、まさ…

旅空で月を見るなら…。

夏と秋の風がとけあって寄せては返し、夏と秋の雲がとけあわず入り混じるような季節。 ふうふうと暑気を吐き出して暮らしたあとには、ひゅうひゅうと冷気を吸い込む季節が待ち遠しい。 こんな季節の変わり目には何だか旅空を見上げたくなってしまう。 夕方の…

明日から9月。

長い夏だった。 5月末、アポイ岳・伊達紋別岳を訪ねてから3か月、蜂窩織炎と汗疱と酷暑に倦み疲れて、ようやくここまでたどりついた。 腕首と掌と足の皮膚もようやく生まれ変わった。 8月最後の日、南の窓から吹き込む海風がカーテンを大きくはためかせてい…

秋よ来たれ…そして何よりも、平和よ来たれ。

このところ、陽ざしや風が、それとなく新しい季節へ進んでいるのを感じる。 そして、世の中の移り変わりは、ただただ目まぐるしい。しかも、その変化は決して新鮮で魅力的なわけではない。 朝食の支度をしていると、TVの画面から「22世紀の民主主義」という…

メモ:緑釉秋草文陶硯(梶谷原A遺跡)と「国厨」墨書土器(東中原G遺跡)

図書館や博物館に通う気力や物事を記憶する力が衰え、”相模国府の考古学”についてのアンテナが錆びれる一方となっている。郷土の考古学情報は、自ら不断に探し求めなければならないのだと反省する。 今回も、近年の調査報告などから得た情報(特殊遺物など)…

実慶作の仏様にまみえる。

17日朝、鎌倉に出かけた。 午前9時の小町通りはまだ歩く人もまばらだった。細長い通りの最奥… 初めて見る”小町通りの消失点”…には、八幡宮の裏山につながる緑があって、新鮮だった。 八幡宮に着き、源平池のほとりに立ち寄ってみる。平家池のそこかしこに、…

紙面は世に連れ、世は紙面に連れ。

”風習”というようなものとあまり縁のない家に育った私にとって、お盆の風習もなじみのないものだ。それでも、ずっと、8月が「死」と重ね合わせの季節なのだと感じてきた。 季節のなかに夥しい過去の死者の魂が甦る…しんとした目のくらむような光のなかで、そ…

拍子抜けの夏。

何だろう…このゆるい感覚の毎日。 私の中で堆積してゆく鬱屈の数々の一つとして、スッキリと決着をみたわけでもないのに。 なぜだろう…報道映像のなかで安倍元首相の最期の姿を眼にした日をきっかけに、なぜかコロナ禍への緊張も、ぼんやりと遠のいてしまっ…

メモ:「菅野名明」・「依智秦永時」について

10世紀の伊豆山において、承平7年(937)に法華堂を造立した「菅野名明」、安和2年(969)に常行堂・僧坊・西軒廊を造立して金身仏菩薩7躯を安置した「依智秦永時」について、遅ればせながら図書館で『国司補任』(続群書類従完成会 1990年)・『新国史大年…

10世紀前半の伊豆山の「菅野名明」

先日、熱海に出かけたあと、長い間読むことのなかった1枚の資料を見つけた。 タイトルは「称名寺聖教 三七五函一〇号 走湯権現當峯遍路本縁起集幷三嶋戸隠少在之」。金沢文庫特別展「顕われた神々」の講演会(「伊豆・箱根・富士をめぐる”かたり”の世界」 西…