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私の第三十四夜をつづります。

公開講座視聴メモ

10日、かながわ考古学財団の公開講座(『時代の変換期に生きた相模の人々のくらし-古代から中世へ-』)を視聴した(申し訳ないほどに気楽な学び方で、しかも得るものは大きいのだった)。

その講座のなかの松葉 崇氏(かながわ考古学財団)による「中世前期の屋敷の成立と背景」がとても興味深く感じられた。
相模国府域の高林寺遺跡第7・第9地点、及び第12地点で発見された区画溝の位置づけを考えるうえで参考になりそうな論点を抽出し、メモ書きしておく。)

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<中世前期の屋敷地の事例>
綾瀬市 宮久保遺跡(Ⅰ期:12c後半~13c中葉、Ⅱ期:13c後半)
◎海老名市 上浜田遺跡(Ⅰ期:13c中葉、Ⅱ期:13c後半~14c、Ⅲ期:14c中葉~末)
平塚市御所ヶ谷遺跡(12c終末~14c・15c:平安時代終末~中世初めの屋敷)…カワラケ年代の見直しが必要

<手前の時代の集落>
◎宮久保遺跡:集落は8c前半~10c後半
◎上浜田遺跡:集落は8c第1四半期~10c 手前の時代と中世とでは、集落の中心地が異なる 

<中世屋敷とその前代(発掘成果)>
平安時代の集落から中世前期の屋敷地へ断絶なく継続している遺跡は確認されていない
◎断絶を含めると、約6割で平安時代の集落または住居が確認できる(集落規模は小さいものが多く、10c半ばまでには廃絶する)
◎中世屋敷と平安集落が重なる事例は、宮久保遺跡のみ(他は屋敷と集落の中心地が異なる)
◎約4割では、平安時代の痕跡がほぼ確認できない
◎伝承地でも、平安時代の集落・住居の確認は半数

平安時代集落と中世前期屋敷の断絶>
平安時代の集落と中世屋敷は、少なからず断絶がある
◎集落から屋敷への変遷(発展)は、ほぼ読み取れない
◎中世前期の屋敷を構えた武士は、平安時代集落とは無関係の人物(集団)か?…落下傘的?
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相模国府域の高林寺遺跡の区画溝の年代、そして性格・位置づけを検証する時、これらの分析結果をふまえる必要があるはずだ。
限られた力のなかで、これからも学び続けていきたい…久しぶりにそう思わせてくれた”かながわ考古学財団”に感謝。