enonaiehon

私の第三十四夜をつづります。

考古~歴史

道路状遺構の剥ぎ取り資料を見て。

6日、平塚市博物館に出かけた。 開催中の春期特別展「ひらつかの古道を行く」の関連行事として、考古学の講座を聴いた。できる限り、こうして特別展を見学したり、講座・講演を聴いてみたりするけれど、分からないこと、知りたいことがふえてゆくばかりだ(…

メモ(5):「田」墨書土器とは?

2月がまたたく間に過ぎてしまった。「田」墨書土器とは?…何のために誰が?…とウロウロしながら。 そのウロウロのなかで、土器などに墨書する行為が、仮に畿内から地方に伝わったものであるならば、「田」墨書土器についても、畿内及び畿内以東の遺跡からの…

メモ(4):茅ケ崎市「北B遺跡」の墨書土器から。

10日、横浜に出かけた。その空き時間に県立図書館に立ち寄り、『香川・下寺尾遺跡群発掘調査報告書』(香川・下寺尾遺跡群発掘調査 2005年)を閲覧した。 高座郡家の祭祀場とされる「北B遺跡」の墨書土器の中に、「大住郡」あるいは「壬生」氏(高座郡・大…

メモ(3):「春」墨書土器のまとめ。

真田・北金目遺跡群の「高大長」須恵器墨書土器について、高座郡大領が係わる可能性を思いついてメモ書きしたあと、『当時の高座郡大領が、郡領域を越えて、わざわざ大住郡…余綾郡の可能性も?…での祭祀に係る可能性はあるだろうか?』と自問した(やはり、…

メモ(2):真田・北金目遺跡群と構之内遺跡の皇朝十二銭出土。

【個人的map:真田・北金目遺跡群】 <註>4区「高大長」墨書土器は、4区の西側に隣接する1区の出土資料と接合したもの。上図では”4区出土資料”として記載した。 【個人的map:構之内遺跡】 今回、皇朝十二銭の出土にまつわる私の妄想は、高座郡家を経て真田…

メモ(1):「皇朝十二銭」の出土年代。

今回、次の表をまとめた際に、高座郡家・七堂伽藍跡と平塚市内での皇朝十二銭の出土の背景に、当該地域(高座郡や大住郡)の大領クラスの人々の活動があるのでは?と想像した。 【個人的table]:平塚市および茅ヶ崎市(「高座郡家」周辺)から出土した皇朝十…

「高座郡家~七堂伽藍跡」の【個人的map】を作りながら。

今回、「小出川河川改修事業関連遺跡群」の成果についても、改めて見直すことになった。小出川の川沿い(七堂伽藍跡の西側~JR相模線線路沿い)は、高台上の高座郡庁周辺域とは様相を異にして、掘立柱建物や竪穴建物などの遺構が高い密度で分布し、旧河道も…

「高座郡家」は現在進行形。

20日、横浜で考古学講座「近年の調査からみる高座郡家の様相」(加藤大二郎氏)を聴いた。2時間の講座は、最前線の調査成果に加えて講師の新鮮な見解も盛り込まれ、とても楽しいものだった。それらの多様な情報と見解に一気に触れたことで、錆びついて止まっ…

「かながわの遺跡展」で。

13日、2022年夏に開館した茅ケ崎市博物館を初めて訪ねた。『華ひらく律令の世界』(令和5年度 かながわの遺跡展)の展示を見学し、その足で市役所に向かい、井上和人氏による『なぜ「律令国家」なのか』の講演を聴いた。 茅ケ崎駅と、博物館が所在する堤坂下…

比々多神社周辺の今昔の姿を訪ねる。

26日午後、久しぶりに伊勢原市・比々多神社に向かい、「~比々多一万年の旅~ 比々多の今昔を歩くツァー」に参加した。 晩秋らしく菊の花が配された比々多神社境内から、化粧塚古墳(円墳)、前畑遺跡(縄文時代、弥生時代後期~古墳時代前期の集落跡)、下尾…

国府台野球場の発掘現場で…溝の謎は続く。

28日、調査中の国府台野球場の見学会が開かれると知り、再び市川市に向かった。 現場に着き、配布資料(第28-26地点1区・2区)を見ながら、まず1区で担当者の方の説明を聞く。今回、想定通りに「国衙の主要施設を区画すると推測される溝の北東隅(1区:「溝…

「下総国府・葛飾郡衙」に会いに行く③

素晴らしいロケーションの会場は満席だった。小笠原好彦氏による文献学に基づいた講演「古代の下総と葛飾郡衙」が始まった。 私にとっては久しぶりの文献資料のレジメだった。眼を通しながら、下総国が11郡を擁する大国であること(相模国は8郡の上国)など…

「下総国府・葛飾郡衙」に会いに行く②

その日の会場である和洋女子大の高層階の会議室には、素晴らしく大きな窓が広がり、外界を屏風絵のように切り取っていた。その西向きの窓からは、ゆるやかに蛇行する江戸川の流れ、スカイツリーをとり囲むビル群、首都圏を覆う大きな天蓋を一望できた。また…

「下総国府・葛飾郡衙」に会いに行く①

9日朝、予定より早く家を出て、市川へと向かった。午後の講演・シンポジウム「下総国府と葛飾郡衙 最新の調査成果と今後への展望」が始まる前に、国府台駅から県営住宅が建つ第192地点まで、『図説 市川の歴史』(市川市教育委員会 2006年)に記された”卑弥…

メモ:多賀城市の八幡神社について

連日の暑さで、いつもの妄想がますます泥沼化している。 そんななかで、多賀城市の八幡神社の由緒を知った。平塚八幡宮の勧請について参考例になるかもしれない。要点をメモしておく。 【多賀城市の八幡神社について】(参考:「多賀城市の文化財」、『多賀…

「沼浜」の風

8日午前は「大倉幕府周辺遺跡群」の現地説明会に参加し、午後は鎌倉から2駅先の東逗子駅で降り、沼間の地に向かった。 『吾妻鑑』の時代、沼間の地は「沼浜」と呼ばれたようだ。 今回、その「沼浜」に引き寄せられたのは、最近、平塚の12世紀の八幡宮につ…

いざ「大倉幕府」

8日、朝から鎌倉に向かった。まだ観光客の少ない小町通りを抜け、鶴岡八幡宮をめざす。 曇り空でも蒸し暑く、八幡宮の広々とした空間に出てホッとする。蓮の花で埋めつくされた源平池や、境内に並んだ骨董市に寄り道しながら、現地説明会が行われる横浜国大…

写真メモ:20230610

6月10日、薄曇りの陽射しのなか、武蔵野台地の北縁部を歩いた。 尾久駅から赤羽駅まで、坂道を上り下りし、石神井川を渡り、最後は「日光御成道」のルートも歩いた。これらの高低差のある地形を地図と身体で確かめながら、さまざまな時代の痕跡をたどった。 …

久しぶりの発掘現場見学会:「及川伊勢宮遺跡」

18日朝、「及川伊勢宮遺跡」(厚木市及川)の発掘現場に向かった。 10時開始の説明会に20分ほど遅れて着き、まず見学者数の多さに驚いた。すでに数百名の方々が受付を通り、説明の順番を待っていたのだった。 次に驚いたのは、目の前に現れた前方後円墳の”剥…

いつまでも土屋の里で。

8日朝、雨の中を駅からバスに乗り、土屋に向かった。(待ちに待った日…”土屋三郎宗遠公”にいよいよお目にかかれる日…あれやこれやと思い描き、熟睡できないまま朝を迎えたのだった。) 大勢の学生さんたちを載せた”満員バス”は、渋滞した街なかを走るのに30…

「土屋宗遠公の木像」はすでに土屋に帰っていた!

今朝の驚きといったら…。 次のネット記事に遭遇して一気に目が覚めた。(「セキュリティ保護無し」の注意があるが、それぞれの記事に「土屋宗遠公の木像」の正面像の写真が掲載されているのだった。) 土屋三郎宗遠 29 土屋三郎宗遠公の像、土屋に帰る!!…

やわらかな襞のある袈裟とは?(追記:3月27日付 enonaiehon:”「土屋宗遠公の木像」はすでに土屋に!”)

24日、再び図書館に出向き、『土屋郷土史』を借りてきた。(先日は「土屋三郎宗遠公の木像」の写真頁をコピーしただけで帰ってきてしまった。) 家で改めて、「土屋三郎宗遠公の木像」の写真に関連する本文内容や、巻末の「おわりに」などの文章を読み直して…

「土屋三郎宗遠公の木像」の写真を見て。(追記:3月27日付 enonaiehon:”「土屋宗遠公の木像」はすでに土屋に!”)

春の土屋から帰ったあと、図書館に出かけた。野鳥観察会の帰り、久しぶりに土屋の遠藤原を歩き、遠原古墳・駒ヶ滝古墳にも立ち寄った。そして、それらの古墳近くにあるはずの”駒ヶ滝”を訪ねたいと思い、その詳しい位置を調べに出かけたのだった。 その詳しい…

「富雄丸山古墳」:被葬者はどのような人?

2019年12月時点での富雄丸山古墳 造り出しの葺き石と埴輪列(『富雄丸山古墳の発掘調査-第3次調査-』表紙 より):今回注目された盾形銅鏡と巨大な蛇行剣は、この造り出し部分の調査で出土したのだった。なぜ、円墳頂上の主体部のほかに、造り出しという位…

『令和4年度 かながわの遺跡展』の土偶たち

7日、神奈川県立博物館に出かけた。1997年から仲間とともに学び始めた考古学…なかでも、縄文人とその文化については、興味を共有すること、愉しみを分かち合うことが多かった。 まず、表面採集で縄文土器のかけらを拾った。そして市内から出土した縄文土器た…

公開講座視聴メモ

10日、かながわ考古学財団の公開講座(『時代の変換期に生きた相模の人々のくらし-古代から中世へ-』)を視聴した(申し訳ないほどに気楽な学び方で、しかも得るものは大きいのだった)。 その講座のなかの松葉 崇氏(かながわ考古学財団)による「中世前…

秦野市蓑毛~寺山~西田原に残る仏像群(2)

蓑毛の坂から望む相模湾と大島:大日堂を出て坂道を下り始めた。すると眼の高さの空に、平塚の海から見る時よりずっと大きな大島のシルエットが浮かんでいてびっくりする。自転車愛好家たちが、ヤビツ峠から勢いよく走り下ってくる姿を見送りながら、道路の…

秦野市蓑毛~寺山~西田原に残る仏像群(1)

この秋、秦野市で指定文化財が特別公開されることを知り、30日朝、バスで秦野に向かった。 出かける前に、公開中の三つのお寺…大日堂・円通寺・金蔵院…の位置を地図上で確かめてみる。 平塚から金目川に沿って北西に向かい、秦野駅から北上してヤビツ峠~金…

北条時政書状(1203年)を見て、金沢三山を巡る。

金沢山(きんたくさん)からの眺め:中央奥に小さく浮かぶのは猿島だろうか? 26日、友人と金沢文庫に出かけた。 夏に横須賀美術館の『運慶 鎌倉幕府と三浦一族』展を見逃していたので、ようやく念願がかなうこととなった。 2018年に浄楽寺・満願寺や清雲寺…

あつぎ郷土博物館の展示を見学して。

11日、考古学のサークル活動として「あつぎ郷土博物館」に出かけた。かつて街中にあった手狭な印象の資料館は、新たな形で厚木市北東端の中津川べりへと移転していた(市中心部から遠いことを除けば、新しい博物館の展示は素晴らしいものになっていて、まさ…