enonaiehon

私の第三十四夜をつづります。

「土屋宗遠公の木像」はすでに土屋に帰っていた!

 

今朝の驚きといったら…。

次のネット記事に遭遇して一気に目が覚めた。
(「セキュリティ保護無し」の注意があるが、それぞれの記事に「土屋宗遠公の木像」の正面像の写真が掲載されているのだった。)

土屋三郎宗遠 29 土屋三郎宗遠公の像、土屋に帰る!!/ふるさと土屋/地元密着!! ちいき情報局 (johokyoyu.net)

土屋三郎宗遠 25 消えた土屋三郎宗遠像の謎/ふるさと土屋/地元密着!! ちいき情報局 (johokyoyu.net)

これらの過去の記事…何と10年近くも昔の…から、「土屋宗遠公の木像」に係る”事の顛末”、そして無事に帰ってきていたことをしっかり確認できて、何とも嬉しくなった。
(私が24日・26日に書いた「土屋宗遠公の木像」に関するそそっかしい記事に、慌てて注記をつけなくてはならなくなったけれど。)

ドキドキしながら、「ふるさと土屋」(地元密着‼ちいき情報局)の二つの記事に掲載された写真を精一杯拡大してみる。

*右手には何も握られていない(拳の傾きから、握るとしても扇などだろうか)。
*左手はやはり袖に隠れている(なぜ隠れて…隠して?…いるのだろう)。
*顎髭をもつこともしっかり確かめられる。
*衣の肩から袖にかけては縫い合わされずに開き、狩衣のように角張ったラインをもつ(この衣が白い狩衣ならば、袈裟を懸けるにふさわしい浄衣になるのかもしれない)。
*お顔の表情は、想像していたよりさらに柔和で気品あるものだ。
*像の背後の木牌に文字などが書かれているかどうかは確認できない。

こうして、今朝出会ったばかりの写真から自分なりに確認したことを書き留めながら、改めてさらに謎が深まったような気がしている。

*この狩衣(浄衣?)に似た衣に袈裟を懸けた男性像は、『土屋郷土史』の説明のように「宗遠が出家した後の姿」を表したものなのだろうか(当時、この姿が、武士の出家した姿としてスタンダードなものだったのだろうか)。
*それとも、伊豆山・大磯の神像群の「袍と袈裟」の系譜に連なる、別の意味合いをもつのだろうか。
*いったい、いつ、誰が、何のために造立したものなのだろうか。

 

写真を見ながら、同時に確かな希望も湧いてくる。この木像の研究がすでに進んでいるかもしれないのだ。

そして、いつか、この「土屋宗遠公の木像」にお目にかかれる日がやって来るかもしれない。

お嬢吉三ならずとも『こいつぁ春から縁起がいいわえ…』
とにかく嬉しい朝。