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私の第三十四夜をつづります。

2012-05-01から1ヶ月間の記事一覧

走湯と筥根

5月の初旬、初めて歩く比叡山西塔の坂道は、まぶしい緑のなかにあった。森に響きわたる鳥の声に耳を澄ませ、雨上がりの空を見上げると、歌人相模その人の影のようなものが心によぎった。 「ほとゝきす みやまにたかくいのる事 なるときこゆるこゑをきかはや…

2012.5.24

人思う場所がほしくて歩きだす 淡く流れる夕風に溶けてしまえば それだけでいい 見あげれば 空へと歩く道 その道を歩くだけでいい どこにも行き着かなくても

浜辺の形

2012.5.22 子供の頃、あんなに身近だった海、砂浜、そして浜辺のプール。小学生の私の夏休みの記憶は、揺らぐプールの水面の輝きと見上げる空のまぶしい光のなかにある。その浜辺の潮風、波の音から遠ざかって半世紀が過ぎた。再び海に足を向けるようになっ…

平塚海岸の金環日蝕

2012.5.21 5時半には南の空にわずかな水色が見えた。7時前には強い雨音。空は一面鉛色だ。あきらめずに傘をさして海岸へ。 2009年7月、仲間と川辺でカラムシを採っていると、あたりが暗くなった。部分日蝕だと気がついた。あの日から3年近くが過ぎたのだ。 …

少年と海

2012.5.18 お天気雨のあと、海に虹でも出ないだろうかと外に出た。 今日の海は波の声が荒々しい。 砂丘の上のピンクの昼顔の群れをたどってゆく。 少年たちが高い砂丘から眼の前の浜辺に下りようとしている。 海に向かって彼らが下り始めると、直ぐに姿が見…

もう一つの白黒映画

2012.5.17 7日、これから旅に出ようというのに、新緑のメタセコイアの並木道の写真を見ていた。そして、『第三の男』のラストシーンが、なぜいつまでも「かっこいい」のだろうと思った。古い白黒映画のことをあれこれと思い出す。それらの映画のかけらが、今…

「国衙」について

2012.5.15 平塚の地で相模国府について学んできた私にとって、「国衙」の語は親しみが無い。概念の包摂関係としては、”国庁(政庁建物) < 国衙(政庁+官衙) < 国府(地域)”と捉えてきた。 一方で、私だけの勝手な使い分け…”律令国家的な「国庁」から、…

水場遺構と網代・漆塗土器(伊勢原市西富岡・向畑遺跡)

2012.5.12 2月に水場遺構(縄文時代中期~後期)を展望してから3か月。今回は(公財)かながわ考古学財団の現地説明会に参加した。 前回、水場遺構の南端は土嚢で覆われていたが、今回は水場を形作る木組みや流れを堰き止める石組み、その面よりやや高い位…

2012.5.7~10

2012.5.7 大いなる 水を湛えて 眠れる淡海 寝息も浅く さざ波の立つ (大津) 琵琶湖のほとり(大津) 2012.5.8 人魚とも 見まがふ背なもつ みほとけは 湖辺に立ちて なにを待つらむ (高月) 琵琶湖の日没(大津) 2012.5.9 人知れず うなじも細く すみれ棲…

2012.5.7

新緑のメタセコイアの並木道。 しかし、60年ほど前の映画の並木道の季節は冬だ。アリダ・ヴァリは長いコートを着ていなければならない。心を閉ざし、手さえも包み込む。枯葉が散らなければならない。何かが終わり何も始まってはいないのだから。 モノクロの…