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私の第三十四夜をつづります。

水場遺構と網代・漆塗土器(伊勢原市西富岡・向畑遺跡)

2012.5.12
 2月に水場遺構(縄文時代中期~後期)を展望してから3か月。今回は(公財)かながわ考古学財団の現地説明会に参加した。
 前回、水場遺構の南端は土嚢で覆われていたが、今回は水場を形作る木組みや流れを堰き止める石組み、その面よりやや高い位置に掘られた土坑列、急な斜面に設置された階段状の足場(?)、その下端脇に残る建物(?)の二重円をなすような柱穴列などが、野外舞台のように展望することができた。そして、この大掛かりな舞台の主役は縄文時代の人々なのだ、とはっきり感じ取ることができた。
 そして、ちょうど10年前の平成14(2002)年5月、平塚市真田・北金目遺跡群の水場遺構(縄文時代後期)を見学した際の驚きがよみがえる。初めて眼にした水場遺構…深さ10m近い谷底には、道のように礫敷き面が続き、清水が豊かに湧き出ていた。トチの林に囲まれた小暗い静かな水場だったのだろうか、と感じた。一方、今回の伊勢原の水場には、遥か大山を見上げるような明るい開放感があった。
 縄文時代の人々の暮らしが生き生きと伝わってくる水場遺構。このように貴重な遺跡が再び埋め戻され、やがて高速道路が突っ切るのだ。今、真田・北金目の遺跡現場に立っても、あの壮大な谷と清らかな水場遺構を思い起こすことが難しいように、この現場の景観も大きく様変わりすることだろう。
 
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                                                               水場遺構
 
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  網代
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