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私の第三十四夜をつづります。

2016-03-01から1ヶ月間の記事一覧

2016.3.31

三月も今日限り…三月が名残惜しい気がして、とにかく外に出ようと思った。図書館は休みだし、海岸、高麗山、下吉沢…と、私の足が向かう先はとても限られている。 ふと、鎌倉の町中の知らない道を歩いてみようと思ついた。鎌倉の地図を取り出して、急ごしらえ…

2016.3.29

2016年3月29日。「安保法施行」という朝刊の見出しが目に飛び込む。日本はこれからどのように変わってゆくのだろう…漠然とした不安。昨日とは違う一歩を踏み出してしまった…そんな不安。 2016年3月29日。人々は、のどかに桜の樹下につどっている。私も、人々…

2016.3.27

旅空には旅の時間が流れてゆく。家のことも、”いつもの時間”の流れ方も忘れてしまう。旅に出ると、新しい一瞬の扉を次々に開いてゆくだけのような気がする。家に戻り、”いつもの時間”の流れが戻ってくると、いつもそう思うのだ。 その昔、旅から旅へとさすら…

2016.3.24

21~22日、友人たちと美ヶ原に出かけた。 美ヶ原…江戸時代にはすでに「美ヶ原」と呼ばれていたことを知って意外に思った。ずっと、戦後生まれの地名のように想像していた。若い頃に信州を旅した時に訪れたかどうかも記憶があやふやな観光地だ。その標高2034…

2016.3.17

彼岸入りの今日、窓の外が一段と明るかった。ベランダに出てみた。鉢植えの葉っぱたちも元気が良くなっている…ように見える。陽だまりのなか、葉っぱたちと一緒に並んでしゃがんでみる。陽射しも空気もやわらかい。葉っぱたちも同じ気持ちかもしれないと思っ…

寄り道の覚書:無品輔仁親王が詠んだ「をばな」の歌

____________________________________ 〔1116年8月〕 【『新編国歌大観』:「雲居寺結縁経後宴歌合」から】 ~五番 露 左勝~ 三宮相模君 9 ゆふされば をばな おしなみ ふくかぜに たまぬきみだる のべのしらつゆ _…

2016.3.9

8日、木の実を拾いに外に出た。前日、近所の小さな駐車場に、その小さな実が落ちているのを見かけた。何の木の実だろう?と思った。駐車場と住宅の隙間に窮屈そうに枝を伸ばしている木は、すっかり裸で、黄色の小さな木の実を鈴のように残しているだけだった…

2016.3.7

昨夕、外に出ると、今にも雨が落ちてきそうな空だった。 家の近くのサクラの木が白々としていた。つぼみが一斉に大きくふくらんでいたのだ。ほころびはじめているものもあった。明日の雨を思い、白い丸々としたつぼみに携帯をかざした。 帰宅して、去年の手…

寄り道の覚書:源義綱朝臣女・伊与

昨年、『新編国歌大観』を眺めていた時、「寛治七年五月五日 郁芳門院根合」に女房方人の名が連なるなか、右女房方人の一人に「伊与 源義綱朝臣女」の名があった。一瞬、「義綱」の娘は歌人だったのだろうか、「伊与」とはどのような人なのか、と興味を持っ…

寄り道の写真:新羅三郎義光の墓所

大津市の新羅善神堂から法明院を経て、園城寺方面へと長等山中腹の山道を歩いた時、「新羅三郎義光」の墓所にも立ち寄った。 これまで、歌人相模の跡を追うなかで、「内裏相模」・「三宮相模」など、今までまったく知らなかった女性たちが姿を現し、寄り道で…

伊豆山神社「男神立像」のこと

2月の奈良への旅は、2012年に拝した伊豆山神社「男神立像」のその後を訪ねるためだった。 (奈良博での今回の特別陳列・講座の中心は、奈文研によって保存修理された「銅造伊豆山権現立像」だった。修理により見事に蘇った「銅造伊豆山権現立像」の、胆力を…

2016.3.3

2日、「そろそろキレンジャクが来ている頃…」と誘われて、3か月ぶりに高麗山に出かけた。 3月初めの高麗山…八俵山に向かう山道は明るかった。12月初めにはまだ重々しく空に伸びていた梢が、今は葉を落としきって、親密でやわらかな光が足元に届く。ウグイス…

「まきおきし 石田のわせの たねならば…」の歌

~『相模集』(『相模集全釈』)から~ 78 雨により 石田のわせも 刈りほさで くたしはてつる ころの袖かな 相模 ~『題林愚抄』第六 夏部中(『新編国歌大観』)から~ 2254 まきおきし 石田のわせの たねなれば ほかにまだしき さなへとるなり 真観 15世紀…