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私の第三十四夜をつづります。

2022-08-01から1ヶ月間の記事一覧

明日から9月。

長い夏だった。 5月末、アポイ岳・伊達紋別岳を訪ねてから3か月、蜂窩織炎と汗疱と酷暑に倦み疲れて、ようやくここまでたどりついた。 腕首と掌と足の皮膚もようやく生まれ変わった。 8月最後の日、南の窓から吹き込む海風がカーテンを大きくはためかせてい…

秋よ来たれ…そして何よりも、平和よ来たれ。

このところ、陽ざしや風が、それとなく新しい季節へ進んでいるのを感じる。 そして、世の中の移り変わりは、ただただ目まぐるしい。しかも、その変化は決して新鮮で魅力的なわけではない。 朝食の支度をしていると、TVの画面から「22世紀の民主主義」という…

メモ:緑釉秋草文陶硯(梶谷原A遺跡)と「国厨」墨書土器(東中原G遺跡)

図書館や博物館に通う気力や物事を記憶する力が衰え、”相模国府の考古学”についてのアンテナが錆びれる一方となっている。郷土の考古学情報は、自ら不断に探し求めなければならないのだと反省する。 今回も、近年の調査報告などから得た情報(特殊遺物など)…

実慶作の仏様にまみえる。

17日朝、鎌倉に出かけた。 午前9時の小町通りはまだ歩く人もまばらだった。細長い通りの最奥… 初めて見る”小町通りの消失点”…には、八幡宮の裏山につながる緑があって、新鮮だった。 八幡宮に着き、源平池のほとりに立ち寄ってみる。平家池のそこかしこに、…

紙面は世に連れ、世は紙面に連れ。

”風習”というようなものとあまり縁のない家に育った私にとって、お盆の風習もなじみのないものだ。それでも、ずっと、8月が「死」と重ね合わせの季節なのだと感じてきた。 季節のなかに夥しい過去の死者の魂が甦る…しんとした目のくらむような光のなかで、そ…

拍子抜けの夏。

何だろう…このゆるい感覚の毎日。 私の中で堆積してゆく鬱屈の数々の一つとして、スッキリと決着をみたわけでもないのに。 なぜだろう…報道映像のなかで安倍元首相の最期の姿を眼にした日をきっかけに、なぜかコロナ禍への緊張も、ぼんやりと遠のいてしまっ…

メモ:「菅野名明」・「依智秦永時」について

10世紀の伊豆山において、承平7年(937)に法華堂を造立した「菅野名明」、安和2年(969)に常行堂・僧坊・西軒廊を造立して金身仏菩薩7躯を安置した「依智秦永時」について、遅ればせながら図書館で『国司補任』(続群書類従完成会 1990年)・『新国史大年…