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私の第三十四夜をつづります。

2015-05-01から1ヶ月間の記事一覧

相模守 藤原親弘周辺の動き

谷川茂氏による「親忠家と俊成」の詳細な年表をもとに、自分の忘備録として、藤原親弘に係るできごとを拾い出してみた。 ここで感じたのは、やはり”乳母の力”、そして多産の力だ。 歌人相模が強く子を希ったことを思い起こさずにはいられなかった。 12世紀の…

鳥羽離宮跡(2)安楽寿院と相模国

相模国府はなぜ、12世紀中葉には大磯へと移っていたのか。 その背景に12世紀の鳥羽院、相模国司、在庁官人たちの動きがあるのでは?と想像する一方で、相模国で起きた国府移遷が、なぜ同時代の他国では起きなかったのか、という疑問もある。 “休むに似たり”…

鳥羽離宮跡(1)12世紀前葉の相模国司と鳥羽

『大磯町史』の「第7章 相模の国司」の頁をコピーしたのは15年以上前のこと。書き込みと手擦れでボロボロになったコピーをまた眺める。9世紀代の相模国司に嵯峨源氏が続くことに気づいたのも、このコピーからだった。 平塚市内から大量に出土する緑釉陶器の…

石清水八幡宮(3)

石清水八幡宮参詣で、新たに興味をひかれた風物がいくつかあった。再訪する機会があれば、また今回とは別の眼で見ることができるかもしれない。それらを振り返って、旅の記憶にしたい。 安居橋から見る男山 15世紀末、道興という京都の僧侶が、『廻国雑記』…

石清水八幡宮(2)

相模国府とその八幡宮について、またそれに関連する事柄について、今の私の理解をまとめると次の通りだ。 ______________________________________ *11世紀前葉(1036年~)の相模国司に源頼義。11世紀中葉(1063年…

石清水八幡宮(1)

石清水八幡宮…子どもの頃、授業で知った仁和寺の老僧の逸話は、長く記憶に残った。 相模国府の勉強を始めてから、その石清水八幡宮の名に再び出会った。『相模国府とその世界』(平塚市博物館 1998年)の「Ⅰ相模国府研究史」(荒井秀規)に、石清水八幡宮文…

2015.5.21

京都に出かける夢がようやくかなった。 2001年5月、2004年3月、2011年10月…奈良の旅の行き帰りに訪れただけの京都だった。今回は京都だけの二泊三日の旅だ。毎月のように新幹線で旅に出る友人から、「気をつけていってらっしゃい」と言われるほど、新幹線に…

2015.5.16

明日から数年ぶりに遠出をしようというのに。こんな時に、と思う。 〽 寄ってらっしゃい 見てらっしゃい 三ツ矢印の安米(アンベェ)商会 ただいま出血セール中 名前も「これから安米(アンベェ)よくなる福袋」だなんて しゃれてるねェ これまたお得なの何…

2015.5.12

11日夕方、コンサートホールに出かけた。 市原多朗さんの声を聴くことができなくなってから久しい。そして、市原さんの輝かしい歌声の記憶は褪せることがない。 一方で、数年前から若い声楽家の歌声に惹かれて、再びコンサートに出かけるようになった。昨日…

2015.5.7

大山から帰ったあと、ふくらはぎの筋肉痛のピークは2日目に来た。痛みも薄らいだ4日目の昨日、久しぶりに水辺の楽校まで散歩に出かけた。 五月の河原には、ツバメ、ムクドリ、カワラヒワ、ハト、ヒバリの姿。ウグイスやシジュウカラの鳴き声。そしてキジのカ…

2015.5.3(2)

大山には若い頃に何度か登ったはずなのに、その記憶はほとんど残っていない。雨降り山の呼称の通り、頂上に辿りついてスッキリとした眺望に恵まれたことは一度もなかった。そして、その当時の私は、道々の小さな花や木々の姿に立ち止まることもなかったと思…

2015.5.3(1)

1日は上吉沢、2日は大山に出かけた。 どちらも、調べてみたい石塔があるから…という小さな動機はあったけれど、本当のところは、ただ五月の野山を歩きたいからだった。 気ままに歩きながら、道端の小さな花、新緑の木々、五月の風と光を楽しむことができた。…

2015.5.1

2015年という年の数字にまだ慣れたともいえないのに、もうカレンダーの3分の1が消えていった。私が”時間の流れ”をイメージする時に思い出すのは、子どもの頃に見た「テレビ名画座」で放映された『オルフェ』の映像だ。 ジャン・マレーが大きな鏡のなかにすっ…