enonaiehon

私の第三十四夜をつづります。

2015.5.3(2)

 大山には若い頃に何度か登ったはずなのに、その記憶はほとんど残っていない。雨降り山の呼称の通り、頂上に辿りついてスッキリとした眺望に恵まれたことは一度もなかった。そして、その当時の私は、道々の小さな花や木々の姿に立ち止まることもなかったと思う。
 しかし、今回は違った。
 16丁目で白い富士の姿を垣間見た。
 20丁目の富士見台では、青い空いっぱいに立ちあがる霊峰の姿を拝した。
 またヤビツ峠への分岐点から、丹沢を控えさせているような高みの姿を眼の前にしながら中食をとった。
 大山と富士とがはっきりと結びついたのは今回が初めてとなった。
 また、相模平野を見渡せば、まっさきに大磯丘陵が眼に飛び込んでくる。相模湾から平野部を囲い込むように緑の袖を伸ばしていた。
 前日、上吉沢から大山の青い山並みを眺めたばかりだった。次の日にはその大山から緑の大磯丘陵を眺める。自分の視線が同時に交錯しているような不思議な感覚だった。
 そして、山道には小さなピンク色の桜の花びらが散っていたし、明るい緑の木々のなかにミツバツツジ(?)が華やかな花色をのぞかせていた。また白いタチツボスミレにも出会うことができた。
 かつて、阿夫利神社本社の石の鳥居を運び上げた人々、また16丁目の大きな道標を据えた人々は、歯を食いしばり、足元だけを見据えてひたすらに登ったのだろうな…と思う。そして、極限に近い肉体酷使には、きっと精神的にも浄化作用がもたらされたに違いないとも思う。 
 本坂を登る人々に交じりながら、大磯町の子どもたちの七夕行事で聞いた「…懺悔 懺悔 六根清浄…」の詞を思い出す。五月の大山登山で、私のような者も、少しばかり六根清浄の感覚を経験することができた気がした。きれいな花によそ見をしながらも。

    山みちに さざめく緑の 灯りかな (大山 本坂)

イメージ 1富士見台からの富士

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オウギカズラ?

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ミヤマカタバミ


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ツルキジムシロ?