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私の第三十四夜をつづります。

2012-10-01から1ヶ月間の記事一覧

2012.10.30

秋になって、数十年来の友人たちとの再会が続く。 29日、新宿に出かけた。新宿・・・昨年12月のセガンティーニ展以来だ。 東京という街は会うたびに新鮮でよそよそしいのに対し、若い頃の友人という存在は、お互いの間に過ぎ去った時間の空白を飛び越えてそ…

2012.10.28

昨日、散歩に出かけると海から帰ってくる人の波があった。土曜の浜辺は若い人たちでにぎわっていたのだろう。砂浜に出ると少年たちがサッカーの練習をしていた。そばで本を読み始める。 歩くのさえ足を重くすくいとられる砂浜だ。しかし少年たちの動きは素早…

2012.10.26

昨日、家族のもとに葉書が届いた。そこには、家族の学生時代の同級生がこの夏に旅立ったことが記され、そして同級生の元気な頃の写真が添えられていた。会ったことがない人なのに、とても自然な笑顔に親しみを感じた。留守をしていた家族に電話で知らせた。…

2012.10.23

22日朝、はるか昔、20代の頃に出会った友人たちに会いに、安曇野まで出かけた。 中央線の車窓から見る景色は秋の色に変わっていた。 (8月末、入笠山の花から花へと飛び交っていたアサギマダラたちは、南へと旅立ったのだろうか。) 電車の座席で読みかけの…

歌人相模の時代から中世へ-静範と聖範

今日(日付が新しくなって”昨日”)、図書館で11世紀後半の年表(『新・国史大年表 第二巻』(国書刊行会)を眺めていて、偶然、「(阿多見)聖範」と同音の「静範」の名を目にした(仮に”セイハン”と読むとして…それとも”ショウハン”及び”ジョウハン”と読むのだ…

2012.10.17

16日朝、中山道を気ままに歩いている友人に同行して軽井沢駅に着いた。 軽井沢を最後に旅したのはいつ頃だったのか、思い出せない。30年以上経っているだろうか。 かつて、文学的な避暑地のイメージを漂わせていた高原の駅は、すっかり都市的で無機的な顔に…

2012.10.13

昨日の午後、雲が広がってきたので、浜辺で本を読もうと出かけた。 思えば、私が小さい頃、兄はよく海に出かけていた。兄の部屋の古びた衣桁に掛けられたズボンからはいつも海の砂がこぼれていた。今、散歩する私の靴の中にも細かな砂が入り込んだままだ。 …

2012.10.10

昨日、再び海岸道路の空に赤トンボが群れ飛んでいた。松林の奥のプールが水田の代わりになっているのだろうか。10月になって日没の時間が早くなり、夕焼けにまにあうよう、早足になる。浜辺ではわずかな夕焼けでもうれしい。 今日は図書館に出かけた。図書館…

京~走湯権現~相模を結ぶもの

今年の春、歌人相模についてあれこれと考えていた。そのなかで伊豆山神社に残る同時代の神像を知った。そして漠然と、その神像が相模国の11世紀代の歴史の動きと係りそうな気がした。12世紀の源頼朝よりさかのぼって、源頼義の時代に相模国と伊豆山神社との…

漆部伊波の富と力とは?

10月5日から始まった藤沢市の古代史講座に出かけた。一般市民の私が、文献から古代の歴史を読み解く世界に惹きつけられるようになったのは、この藤沢市(博物館準備担当)で長年にわたって行われている講座がきっかけだったと思う。発掘調査の現地説明会と同…

歌人相模の時代から中世へ-佐伯経範のこと③

佐伯経範の生没年を『陸奥話記』をもとに推定すれば、997年前後~1057年となる。 (ただ、彼が”藤原公光の子”であるとすると、次のように年代が合わなくなる。 【父・藤原公光について】 『尊卑分脈』では「従五位下相模守、実父公行、母兵衛佐?文女 上東門…

歌人相模の時代から中世へ-佐伯経範のこと②

『武士の成立』を読む途中で、”佐伯経範”のことを図書館で調べてみる。 彼が相模国人であること、源頼義が勝利を得た前九年の役のなかで戦死したらしいことに興味を持ったからだ。 11世紀前半の相模国司大江公資、源頼義…彼らと同時代に生きた佐伯経範を知る…

2012.10.2

9月30日の満月は嵐の中だった。1日の未明、窓を開けると風はおさまり、海鳴りと虫の音だけが聴こえた。もう一度目が覚めた時には、虫の音は止み、海鳴りの音もかすかになっていた。 午後、海に出かけると、昨夜の台風の名残りがあった。松林一帯の空気は海…

歌人相模の時代から中世へ-佐伯経範のこと①

つい最近まで興味を持てなかった中世という枠組みの時代。 しかし最近、11世紀~12世紀前半の相模国府に思いを馳せるなかで、相模国が奈良時代・平安時代を経ながら、どのように鎌倉時代へと流れ込んでいったのか、しだいに気になり始めていた。 そうした今…