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私の第三十四夜をつづります。

歌人相模の時代から中世へ-佐伯経範のこと①

 つい最近まで興味を持てなかった中世という枠組みの時代。
 しかし最近、11世紀~12世紀前半の相模国府に思いを馳せるなかで、相模国奈良時代平安時代を経ながら、どのように鎌倉時代へと流れ込んでいったのか、しだいに気になり始めていた。
 
 そうした今、表題に惹かれて『武士の成立』(元木泰雄 1994年)という本を読んでいる。
 読み進めながら、平安末から中世の人々が複雑にうごめく雑踏の中で、新しい時代へと動いてゆく東国社会の道筋も分からず、何を手掛かりに歩いて行けば良いのか、途方に暮れた。
 そんな迷子のような私がすがる目印になるのは、やはり相模国相模国司に関連する記述だ。その一つが”佐伯経範”という見知らぬ名前だった。
  
 「・・・たとえば、頼義の三十年来の郎従として前九年の役で討ち死にした佐伯経範に代表されるような、相模武士との密接な関係はこの本拠の経営を介して形成されたものと思われる。・・・」
 「・・・また、頼義が大敗した黄海の合戦において討ち死にした佐伯経範のごとき東国出身の郎従の存在は、あたかも頼義が私的な主従関係にある多くの東国武士を率いて合戦に臨んだような印象を与える。・・・」
 
 11世紀前半の相模国司”源 頼義”の郎従で相模武士の”佐伯経範”とはどういう人物なのか?
 迷子の読者として、まず、この人物のことを少し調べてみようと思う。